2014年5月12日月曜日
句切れと句またがり
日本の定型詩は、五七五七七の三十一文字と決まっている。
俳句や旋頭歌のように、バリエーションはあるが、流れるような日本語の美しい世界
ところが、最近は様々な「定型詩」があるようで・・・
例えば
ヤクザ歌(8・9・3 の文字数で唱う任侠の世界)
グルメ賛歌(5・9・3 の文字数で料理世界を唱う・・そうコックさんです)
まあ、こげな外道な世界はさておき、三十一文字の世界の美しさ・・・
なんですが、流れ方が、単調になる危惧がある。
長い歴史の中で「禁秀句表現」の制約で、だんだんと流れの水流が減っていきます。
そこで、五→六(七→八)というように「字余り」で、ちょっとした破調を試みますと・・・
わが袖は 潮干(しほひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし
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この破調がこの歌を名作とし「沖の石の讃岐」って雅称で有名になったのです。
しかし、これってあんまりやり過ぎると「定形」でなくなる。
まあ、おおくても二回まで。
そこで、更なるテクニックが、句切れと句またがり
この味が いいねと君が 言ったから 七月六日は サラダ記念日
↓
この味がいいね と君が言ったから 七月六日は サラダ記念日
チューリップの 花咲くような 明るさで あなた私を 拉致せよ二月
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チューリップの花 咲くような明るさで あなた私を拉致せよ 二月
俵万智さんの歌の衝撃的な共感の裏側には、このテクニックがありました。
日常雑記的なテーマで、若者との距離感をとっぱらっただけが勝因ではない。
定形という文語体的表現の口語化ってことですかねえ・・・
しかし、この表現方法の巧みは・・・かの天才にしくはない
当方は二十五 銃器ブローカー 秘書求む 桃色の踵(かかと)の
われに 昏(くら)き五月始まる 血を売りて来し 青年に笑かけられて
最近、ポツリポツリと昭和の定家こと塚本邦雄さんの歌集を読み返しています。
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