2014年6月29日日曜日
日本史を読み解く「三原色」
そんな大層なもんでもないが、日本史って本当に面白くない(笑)
が、反面教師にはなるって・・・・
まず「和の精神」
聖徳太子十七条憲法の十七条に曰わく
それ事は独り断むべからず。
必ず衆とともによろしく論うべし。
独断専行ではなく大衆討議にかけなさいって・・・
みんなで議論すれば、いい知恵が出る場合もあるが、
多くの場合、無難な結果に終わる。
最悪は「もう少し様子を見よう」って(笑)
これって「決められない政治」ってことです。
次が「前例墨守」
問題先送りとかそんなひどい例でなくとも「当たり障りのない方策」に落ち着く。
妥協の産物ってそんなもんで、先例踏襲で、大胆さとは程遠い。
葡萄とメロンを足して二で割れば、葡萄がメロン程度収穫できるって知らないのかねえ。
余の新儀は未来の先例
なんて、後醍醐天皇のようなワンマンだけが言うせりふ。
そんなワンマンでも「前例踏襲」の呪縛にとらわれてみたいだし、
なんせ、豪腕ではあったが、時代と未来を見通す能力がなく
見当違いの判断が多すぎる。
みんなで決めるという「民主手続」が王道と思えば、
独裁者というか絶対統治者は、煙たがられるし、末路哀れな結果に
おわることが多い。
義教、信長・・・そもそも、有能な独裁者は数が少なく、
多くの治世者は凡庸な調整型君主である。
天下大乱の時に、
団栗レベルが鳩首し、のんびりと話し合いで前例を参考に凡庸な意見取りまとめ・・・
なんかじゃ間尺に会わないと思うのですが、
DNAというのは簡単には変わらないみたいです。
網野善彦さんが力説するのですが、百姓とは農民ではなく多くの職能階級である。
間違いだというつもりはないが、
社会を長く支えたのは「農業」であったことは事実であり、
お米=基軸通貨 だった。
問題は、ある時から(室町時代かな・・)お米=商品 となったこと
つまり、商業の発展により(資本主義の勃興といってもいいが)、
結果として、通貨=商品 となってしまった。
この大きな変化を感じ取り、大胆に対応した統治者と、そうでない者がいる。
江戸時代は、各藩(今で言えば各企業)とも新田開拓等でお米の増産に努めた。
しかし、商品の流通量が増えると価格が下がる。
一方で、お米以外の殖産興業の政策誘導を大胆にやらないもんだから、
米の価格は低下し、相対的に諸物価は高騰する。
ここで、中世のユダヤ人のように虐げられていた備前屋の活躍する場が到来する。
先安感のある米は、たまたま先物市場があるから、空売り。
相対的にあがるだろう商品(諸式)は、買占め。
これを繰り返せば千両箱の山にならないほうがおかしい(笑)
財政が逼迫する統治者は、鳩首し・・・倹約と更なる増税
いままで歯牙にもかけていない商人を搾り取ろうって前例のない発想は
まったく出来ない。
江戸時代の「なんとかの改革」って、みんなこれですよ。
流れに棹差してうまくいくはずがない・・
でも、時代の抵抗勢力に人気があるのが不思議です。
荻原重秀の管理通貨制度や、田沼意次の重商政策を否定し、
ひたすら農本主義まっしぐら・・・
うまくいくはずがないし、改革派とつるんだ「悪徳」商人が、
桜吹雪だか葵ご紋にひれ伏すざま見て喝采をあげるようでは、
日本の明日は暗い。
この限りにおいては、TVから時代劇が消えたのは結構なこと(笑)
一方で、西国の外様大名は、幕府以上に困窮しちゃたもんで、
カッコつけてる余裕もなく、なりふりかまっていられない。
なもんで・・・
若輩者の大抜擢(年功序列人事の打破)
借金の踏み倒し(DIP型民事再生)
換金商材の開発(新規事業等産業の多角化)
密貿易(貿易自由化) ・・・なんて、禁じ手だろうがなんでもあり。
明治維新って、別に黒船来襲が主因ではない。
間違った経済政策・・にならざるを得ない日本史をつまらなくする三要素が
革命を起こしたのであり、三要素からの解放が革命を成就した
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