2014年6月14日土曜日
ローマから倭国が見える・・・・
自分自身を要素として含まない集合全体の存在から矛盾が導かれる・・・と言うのが
有名なラッセルのパラドックス。
そのバートランド・ラッセル伯爵は、かように喝破した。
古代ローマ人たちは・・・・
いかなる芸術的形式も創案せず、
独創的な哲学体系も築かず、
また科学的発見をすることもなく、
ただ立派な道路を作り、
体系的な法律を編み、
能率のよい軍隊を育てた・・・
悠久の大帝国を造築・運営する「統治の秘訣」はここにある(笑)
しかし、かの碩学のことばの残片だけでことの本質がみえてくるわけではない。
むしろ、この言葉は「最古の民主主義があえなく衆愚主義に堕落」した
古代ギリシアとの対比で噛みしめるべきことばである。
貴族というエリート階級の存在を忌避し、徹底した平等社会を作り上げたギリシアですが
その全盛期はペリクレスという稀代の名政治家の存在なくしてありえなかったとされる。
彼は、大衆に迎合することは衆愚政治に堕落することを誰よりもよく知っていたと
思われます。
彼の統治の時代こそが、西洋文化の基層をとなったギリシア文明が一番花開いた時。
つまり「外観は民主制だが一人が支配する国家」がアテネ民主制の本質ということです。
アテネ衰亡は、現代史あるいは同時代史としてローマの教訓にならなかったはずがない。
ローマ人はギリシアに学んだことは、文化・文明はもとより、政治哲学もそうであり、
最高のお手本がすぐ近くになったのが幸いした。
歴史を含め、学習できないという思考の柔軟性の欠如たる民族は論外であり、
ただただ青史に汚名を垂れるのみ。
お手本だと思えば柔軟に許容できることは、原理主義とは立ち位置を異にする。
敗者をも同化するというローマ人ならば、お手本ともなれば、言うに及ばず。
この寛容の精神がどうして育まれたのかは知らないが、最大の美徳だったかもしれない。
理由になるかどうかは定かではないが、ローマは「多神教」の国である・・・
正確には「であった」。
ローマが滅びた理由は多岐多様に語られる。
無論、原因が一つという単純なものでもない。
言えることは「長所が短所になる」ということであり、美徳が悪徳に転化するか
美徳が忘れ去られたことが一番重大な危機である。
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