2014年7月4日金曜日
自慢できる肩書
個人的な趣味嗜好だけ言えば・・・
天下の素浪人
無頼無宿人
なんかがお好みですが、社会通念的には
住所不定無職
犯罪者予備軍だと指弾される。
従って、どうせなら「哲学者」と名乗りたいし、そう思われると
自尊心もくすぐる。
しかし、雑文を書き散らす売文の徒の分際で「哲学者」を自称する勇気たるや
あるいは、厚顔さには感服する(笑)
そもそも哲学とは何か?
明治の初めに西周先生が命名したそうであり、概念定義だけで大部なご本が
かけそうである。
あれやこれやと蘊蓄を傾けるようなものでもないので、
一番明快・・と思われるヴィントゲンシュタインの説に従う。
哲学とは学説ではない。活動である。
哲学とは理性による思考の明晰化である。
哲学という活動の本質は解明することにある。
・・・だとすれば、蝸牛庵だって、哲学者と名乗ってもあながち
おかしいことではない。勇気とか厚顔という現象でもない。
池田晶子という夭折した才媛がいた。
四十代半ばの生涯をもって「夭折」は如何と思うが、彼女の「哲学書」に身震いした頃は三十代だったので、あながち的外れでもない。
知性、教養、才能ある女性を「才媛」という。
辞書的には「美人」の意味合いはない。
しかし「媛」だけとれば、美しい女性である。
才媛なる用語は結婚式の新婦の誉め言葉程度でしか使われないが、
その多くの場合は、才でも媛でもない(笑)
実のところ、この「才媛」なる言葉は、彼女のためだけの言葉なのです。
彼女の肩書は「哲学者」
人物紹介的にある引用をすれば・・・
・・・専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって「哲学するとはどういうことか」を語ることで・・・現代の思潮や流行している解釈に迎合せず、自分の考え、自分の言葉だけで存在と宇宙について思考をめぐらし、・・・
彼女がヴィントゲンシュタインに私淑したとは思えないが、まさしく、彼の言うところの「哲学っていた」美女なのである。
神々の愛でしものは早く死ぬというが、それは違う。
アホだと時間がかかることを、さっさと片付けた、無駄に馬齢を重ねなかった
美しい生涯なのです。
さて・・・・実は、今までが前書きなのです(笑)
今日のお題は「波止場の哲学者」について共感と愛惜をもって語ろうとしたのですが、またいつかのことにしよう。
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