2014年9月2日火曜日
歴史との対話(いわゆる「反韓本」の反語的おすすめ)
所謂「反韓」本を読み漁っています。
結論を言えば、当たり前ですが、ほぼ全滅^ ^
不毛のデイベートで、建設的でもなく未来志向に程遠い。
読んだことはないのですが、
あちらサイドの「反日本」がそういう下劣でないことを願っています。
まずは・・・・
事実に基づいての証拠の提示。
堅牢な論証の展開。
最後に一番大事な「今の物差しで過去を断罪していない」こと。
近代東アジアの一番の「不幸」は、華夷思想という世界観=天動説であり
地球全体は地動説で動いているという認識の転換が出来ないことだと思っています。
世界の中心は「中華」であって、何事においても一番
忠実な朝鮮民族二番目に偉い。
あるいは途中で異民族支配を受けている分、こっちのほうが偉い(苦笑)
あとは、東夷西戎南蛮北狄・・・犬畜生と同じくらいの下等民
倭人なんかは、まだ人偏がついているだけでもありがたいと思え!
多様性ある価値観とは「優劣ではなく差異を」論じるものですが、
天動説からはそのような発想は出てこない。
ところが、
神功皇后の三韓征伐
秀吉の朝鮮征伐
征韓論・脱亜入欧
日帝支配三十六年
優秀であるはずの朝鮮民族が倭人の風下に立つことは地球が太陽の周りを回るくらい
ありえないことである。
日本は猿真似しか出来ず、韓国起源の文物を模倣したに過ぎない・・・
朝鮮民族が言う「正しい歴史認識」とはそういうものです。
植民地時代の反省だけでは足りない。
次は、征韓論・脱亜入欧を反省しなければならない
文禄・慶長の役は、なんとか倭乱と言い換えよ(乱とは目下が目上に反抗することです)
三韓征伐に至っては、知らない若者のほうが多いし、
あれを歴史的事実と思う向きはまずいない。
植民地時代(正確には併合時代)には、色々あったのでしょうから、
江戸しぐさ風に「ごめんなさい」程度と言ってもいいが、
それ以外は、鷺を烏と言うようなものです。
実のところを言えば・・・
日帝三十六年が如何に圧政であったか?ということはあまり興味がない。
何事にも光と影があり、見ようによっては、丸いものの四角に見えるし、見せることも出来る。
どんな理由があっても、支配された側は不愉快に違いない。
それに、太平洋戦争中の戦時体制的なグロテスクな行状が
36年間続いたかのような物言いも困る。
少なくとも正確ではない。
考えるべきことは、文化革命・科学革命・産業革命以降の巨大なパワーをもつ
欧米列強の泥靴で国土を蹂躙された国とされなかった国との違いの根本原因である。
十九世紀の砲艦外交が当たり前な帝国主義の時代。
侵略者が悪という道徳論の時代ではなかった。
何故日本だけが欧米の侵略者に抗しきれたのか?
だからと言って、欧米同様な侵略支配に正当性があるわけでもない。
日本でなければ、以外のどこかが・・・
はっきり言えばロシア帝国が支配者になったであろうことは
当時の国際情勢からすれば容易に想像がつく。
半島が落ちれば、その後の東アジアの姿は考えることもおぞましい。
英国は老獪です。
ロシアの南下政策の防御盾に利用すべく日英同盟。
西洋の超大国と同盟を結べる位日本の国際的地位が上がったって狂喜乱舞したのが、当時の国民。
これが契機となって不平等条約は順次撤廃されました。
いまと変わらず当時から倭人はナイーブです。
騙された!と初めて気がついたのは第一次世界大戦後のベルサイユ講和条約会議時のこと。
第二次世界大戦は、その時からすでに始まっているのですよ。
代理戦争の鉄砲玉に使われたようなものですが、他に選択肢はなかった。
当時も、親英路線と親露路線の論争があったようですが、
不実な平和より正義の戦争を選択したことのほうが正当だと思います。
(長くなったので一旦休憩します)
明治維新の頃の李氏朝鮮は、国内は疲弊混乱し、国家の形をなしていなかった。
東洋的世界観とは相容れない国際情勢を直視し、その中で国家の存続のためになすべきことを
考え革新的に実行出来るような状態ではなかった。
開国刷新を提案する明治政府に対して、字の書き方が気に入らんとか服装を改めてこいとか・・・・
朱子学の軛とはかくも強固なものか。
それを思えば、江戸期における百家争鳴的な思想論争や商業主義の勃興こそが
明治維新の基層をつくったという説は魅力的である。
原理主義とはかくも危険な思想なのである。
東洋的世界観とは、中華思想つまり華夷思想・冊封体制を意味します。
中華を盟主とする秩序を形成する。
中心が一番偉く、周辺は「東夷西戎南蛮北狄」つまりは野蛮人で人偏がないところを見れば
犬畜生の扱いのようです。
もっとも、中華と言っても漢民族支配の時代と同じくらい異民族支配の時代もあったわけで
半島国は一貫して朝鮮民族が支配していたので、中華の本家は我が方という気位もあったことは
先にも書きましたが、実のところ日本でも、同様の説を唱える儒学者がいました。
しかしながら、卑弥呼の時代はともかくとして、
日本は聖徳太子の時代から自主独立で冊封体制に組み入れられたことはない。
例外があるとすれば、一部の足利政権であるが、これは貿易権一元化のための手段であり、
中華思想に心酔したわけではない(当時から経済優先の媚中外交と評判が悪かった)
要するに、エンペラーとキングは全く別物だということであり、
中華思想においては、エンペラーを名乗っていいのは「中国帝国の皇帝」だけで
倭国は言うに及ばず、朝鮮族もキングにすぎない。
だから、天皇ではなく「日王」という外交儀礼上無礼な表現を非礼とも思わない。
対抗上、無能な大統領だからということで蔑称を用いてもいいが、
これはヘイトスピートまがいであり、文明国のやることではない。
原理主義とはある種の天動説であり「ジコチュウ」と言い換えてもいい。
時代の大きな流れからすれば、日中朝が互助協定を結び、
共同して欧米に対峙するというのが当時の大亜細亜主義といわれるものであるが、
たまたま真っ先に開国しただけの「東夷」ごときに言われたくない・・・ってことだし、
中華思想の呪縛に囚われれば、そんな妄言に耳を傾けるつもりもない。
魯迅は、中華思想に毒された中国を痛烈に批判したのであるが、
朱子学の呪縛はあまりに巨大であった。
音頭を取る側も、そのうちに呆れ果て、蔑視感が生じ優越論が台頭するのも
けだし歴史の必然ということであろう・・・(これが脱亜論)
近代東アジアの不幸はここに始まる。
要するに、野蛮人だけが「一等国」になったことがいけないことのです
日中韓横並びに西洋の植民地になっていれば20世紀移行の東アジアは安穏である・・・
正しい歴史認識とはそういうものです(苦笑)
儒教に「長幼の序」という言葉がありますが、分をわきまえろという意味。
個別の事象にとらわれずに、鳥瞰的に近代の歴史を眺めればそういうことにしかならない。
中華民族の伝統的歴史感を表したものが「春秋の筆法」だとすれば
彼らは近代史を一行で語り尽くす
曰く・・・・「倭寇来たり、而して去る」
目の前の出来事に右顧左眄せず、足腰を固めて毅然と未来を見つめておればいいのです。
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