JIGOLOという職業がある。
女を喰い物にする点が女衒と同じであるが、彼らほど人非人ではない。
娼婦に堕とすことで金にするのと、堕ちた娼婦から稼ぎを巻き上げるのは本質が違う。
ホストのように、接客という感情労働でもない。
髪結いの亭主はただの役立たずな寄生虫である。
ありていに言えば、ヒモであるが、イメージとして薄汚く正確にはちょっと違う。
エレガントな若者で、どのように生きているのか不明の者・・・
それが「ジゴロ」である。
娼婦にはジゴロがよく似合うし、ジゴロなくしては存在し得ない。
ジゴロの職業倫理は明快である。
踏まれてもついていくのは下駄の雪と哀しいサガの娼婦だけ
金で女を自由する、その金を頂戴することで、世間はバランスする(?)
多少衒学的に述べれば・・・
疑似恋愛を職業とし、擬似愛と貨幣の交換が習いとなれば、
金銭抜きの恋愛なんかできなくなる(・・・らしい)
結果「貢ぐ」という一方的な愛が真実の愛に思えてくる。
人間のレーゾンデーテルとは、兎に角生きること・・・であるが
誰かを生かしてあげていることで、それは「生き甲斐」まで昇華する。
世の多くのお父様が、女房のパートを好ましく思わない感情に似ている。
男を養いたい願望は、女性誰でも潜在的欲求だとか
そして、擬似愛を貨幣と交換することですり減ってくるこころの空洞を
埋めてもらえるものが必要となるのは必然。
プロによれば「減るもんじゃないし・・」なんてほざいているうちはヒヨッコらしい。
磨り減った愛の補填って、まっとうな職業の人間のできることではない。
ある種の仮説ですが、
ジゴロの存在意義とは娼婦が存在する限り成立する職業だということなのです。
実に奥の深い難度の高い職業みたいです。
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