2014年11月26日水曜日
さど 佐渡 砂土 サド SADE
今年は没後200年・・という以上人気指揮者の佐渡さんではなさそうだ。
高貴な爵位をもつ家系の嫡男。
宮廷貴族らしく漁色な放蕩生活だけを送っていれば、歴史に名を残すこともなく
あるいは断頭台の露と消えたかもしれないが、
有りげな性癖が災いし・・・・
しかし、直系の末裔は隆々と家系を維持しており、シャンパン「マルキドサド」なんかを
生誕250年を記念して発売をした。
没後200年記念版もあるといいのですが、どうも見当たらない。
別に「発売禁止」の憂き目を見たわけではないと思うのですが・・・
彼の作品は、反社会的であり不道徳であり、その反体制性を誇張せんがためでしょうか
猥褻性な表現を駆使している(・・・らしい)
今読めば、どこが「猥褻」なのか?
かの有名な最高裁判決によれば
1)通常人の羞恥心を害すること
2)性欲の興奮、刺激を来すこと
3)善良な性的道義観念に反すること
が猥褻の三要素らしいが、別に恥ずかしくもなく興奮もせず・・・
正常な性道徳に反するかも知れないとは思いますが、正常と異常とは相対的なもの。
思うに、映画「黒い雪」の猥褻問題は、反米反基地問題を扱ったが故であると言われるがごとく
あの「悪徳の栄え」だって、反体制的を恐怖され、
お白州に引っ張りだされたに違いない。
サドの作品は手を変え品を変え映画化されるが、鑑賞に耐えるようなものはまずなく
俗っぽいポルノでしかない。
映画人の底の浅さということかもしれない。
一方で舞台劇ともなれば、クイルズ、マラー・サドと問題作が並ぶ。
いずれも「彼の作品」が素材ではなく「彼自体」が素材という点で視座が違う点も面白い。
つまるところ、サドの作品は歯ごたえがありすぎる素材であり、無理やり調理すれば
危険が伴う・・・。
そうそう言い忘れた。
三島の「サド侯爵夫人」を忘れてはいけない。
オンナだけ六人登場する舞台劇で、西洋でも人気が高い。
興味ある素材に翻弄される女性を描きつつ「彼自体」に迫りつつ
彼自身が登場しない設えがニヤリとさせる。
そういえば対で上演されることの多い「わが友ヒットラー」も同様で興味深い。
こちらはオトコ四人だけが登場する。
面白いことに「サド侯爵夫人」は男性だけで演じられることがあるが「我が友ヒットラー」を
女性だけで演じた例はない。
女装はあっても男装はない・・・ことは実に面白い。
クロスドレッシングというのは「異性装性愛」の一種だと物の本に書いてますが、
一般的に(社会通念的に)男装のほうが異常性が低いとされる。
確かに健全な社会通念的にも、男装は・・・まあタカラズカが市民権を得ているように、許容性は高いが
古典芸能を例外として女装はなんとなくキモいのですよ
そのキモさをあえて選択する・・・
才能のある舞台監督の性根の異常性って、なんとなくわかるような気がします。
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