2014年12月2日火曜日
菅原文太さんをしんそこ悼む。
御歳八十歳ですし、銀幕から引退もしていますが、蝸牛庵的には健さん以上に
時代の終わりを感じます。
狂気的な演技・・・とりわけ「仁義なき戦い」は同世代的であり、教訓的であった。
健さんには悪いが、正義も不義もない。
任侠道もけんちなヤクザもいない。
ただただ、美味い飯をくらい、ええオンナ抱けるためにヒトは生きるって
当たり前の「グリーなキャピタリズム」を正直にスクリーンにぶつけたのが、文太さん。
健さんは、文化勲章の頃の映像を見るに、
嫌なことですが「老い」をみせつけましたが、
文太さんは、ふてぶてしさでしょうか、現役ヤクザの気迫を最後の最後まで感じさせました。
かの、健全を売り物の国営放送ですら「獅子の時代」で反体制を彼を通じて描きました。
あのヒロシマヤクザの映画は、蝸牛庵の人生の大きなエポックです。
結果、広島大学に受験に行きました。
亡父は、旅立ちの朝・・・言うに事欠いてか、なんとも言い難いのすが
曰く・・・
ルノーのタクシーは乗ったらあかん!
もはや、ルノーなんか一台も走っていませんでした。
しかし、受験会場言葉は、あの「じゃけん」な広島弁の洪水
デビュー当時な宮沢りえ風美少女が、これですからねえ・・・(苦笑)
やっぱり、ヤボとバケモノしかいない箱根の向こうの学校に行こうって・・・
人生かなり変わりました。
しかし、いまでも、H学院出身の友人がいます。
イエズス会とも思えない連中ばかりです。
彼は晩年、農業に転じたそうです。
人は土に帰る・・・・かどうかって悟ったかどうか知りません。
同じ母校ながら、中退した彼・・・まあ、あの学校は、アホほど長くいるんですよ。
四年で十分、二年程度で進路を変えるのが一番賢い。
もっとも、蝸牛庵は四年いましたが、通学期間は、文太さんより少ない・・・はず。
いつか、お目にかかることもあるでしょうから、その時には自慢してみよう。
合掌
・・・・・
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