2015年6月10日水曜日
play the ball as it lies
愛読の某情報誌連載の「誤審のスポーツ史」が実に面白い。
最新号が取り上げたのは「ゴルフ」
ストーリーは本当に含蓄深い。
ゴルフとは単純なゲームである。
棒切れで丸いボールを「あるがままに」打ち、打数の少なさを競うだけ。
草むらに転がり込むことも、穴ぼこに沈むことも水たまりに飛び込むこともある。
それでも「あるがまま」に打つ。
そもそも運不運も実力の内だし、人生ってそんなものだ。
ところが・・・ちょっとマニアックに書きますが
ルール上例外的にボールを動かして良い場合がある。
その場合
リプレース(球を元の場所に戻す)
プリファードライ(好きな場所へ戻す)
の2つの運用がある。
当然後者がプレーヤーに有利であるが、運用ルールの決定は主催者が行う。
しかし、ルールにオンチな主催者だと曖昧な指示になってしまい、騒動になることがある。
ある女子トーナメントのこと
主催者は「リプレース」のつもりで指示し、多くの選手もそう理解したが、
ある選手だけが「プリファードライ」と解釈し、初日だけであるが、そのようにプレーした。
そして、なんと「最少スコアでプレーを終了」しちゃったんですよねえ(笑)
本来「失格」なんですが、
主催者の運営がお粗末なもので「誤認」ということで「優勝」ということになった。
本人的には辛いですねえ。
この場合、どうするのが一番適切だったのでしょうか?
今一つの事例
当時飛ぶ鳥落とす勢いでアメリカ参戦中の超人気若手女子プロが登場
コースの芝のコンデイションが悪く・・・彼女いわく「アメリカなら絶対にプリファードライです!」
たかが一選手の発言に動揺したのかどうかは知らないが、主催者はお粗末だと思うのですが、そのような決定をした。
しかし、あるベテラン選手(多くの優勝回数を誇りますがに大衆人気はイマイチ)だけは
あるがままに打ち続けた。
彼女いわく・・・
私にとってゴルフはボールを触って動かすスポーツじゃない
最初の事例のヒロインはよく知りません。
多分・・というか確実に歴史や記憶から消えてゆく。
後者の例だと、その若手プロがいま低迷する理由がわかったような気がします。
ボビー・ジョーンズがビッグタイトルのかかった一打で、
自らに一打罰を課した(当然誰も見ていない)有名なエピソード。
彼の精神からすれば、
このようなエピソードが語り継がれ、そのたびに賛美されるのは片腹痛いだろう。
アタリマエのことをやったまでのことでそれを褒められるという事自体が屈辱かも・・・
審判のいないスポーツで「誤審」を取り上げること自体が全体のストーリー感を
歪なものにしかねないが、自分自身が「審判」であるという自覚において
どう振る舞うべきか・・・って思いを馳せる、まあサンデル教授の授業素材に最適です。
改めてボビー・ジョーンズは言います。
ゴルフには、ルールは二つあれば十分である。
あるがままに打つ。
そして自分に有利に解釈しない
バブル以降倭国でゴルフというスポーツ(あるいはレジャーないしギャンブル)が
低迷している理由もよくわかりますねえ。
個人的なことですが・・・
あるがままに打っていた頃が年間平均ストロークは一番少なかった
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