2015年12月25日金曜日
物語詩なるもの
1927年が初版。きっと星ひとつの値段だったろう。
1999年に改版が発行され、いまや第20版
岩波書店がどうして「にごりえ・たけくらべ」のカップリングで出版したのかは
だれにでもわかる単純な理由でしかない
広義の意味での廓の相似形。菊の井のりきと大黒屋の美登利は、双子の姉妹なのだ
物語唄というジャンルがある。
詞藻にストーリーがあるって特徴ですが、おしなべて定番化されたメロディがない。
例えば・・・
兄妹心中
一部に熱狂的なファンがいる。
歌詞自体にも異同があるが、メロディラインはもっとバリエーションに富む。
有名ドコロでは「厄介節」
タイトルは知らなくとも・・・
十六七になるまでも、
蝶よ花よと育てられ・・・・ なんかは耳に残っている。
一体何がいいたいのだ(笑)
この高名な二つの短編は、一葉の困窮生活の近風景(円山福山町、新吉原)を切り取ったものと
されるが、実のところ別の想像も成り立つ。
この「厄介節」には、二つのバリエーションが有るとされる。
一葉の「たけくらべ」にも、厄介節という言葉が登場するし、
廓界隈では馴染みのある俗謡であったに違いない。
娼婦の末路に幸いはない(・・・お大尽に身請けって例もあるが)
浄閑寺(吉原界隈)のような投込寺で無縁仏となるか
入れあげた客との無理心中で命を落とすか
それぞれの厄介節の詞藻は、けだしりきと美登利の人生そのもの。
一葉は、この詞藻を念頭にこの短編を書いたに違いない
・・・以下途中を端折りますが・・・
幼い時分に世を去られ、それから他人に育てられ、
十四の春から店に出て、お客の登楼(あがる)を待つけれど・・
早く女郎を廃業し、
堅気の丸髷(まげ)に繻(しゆ)子(す)の帯、眉毛落して主の側、
・・・
もしも添ひ遂げられぬなら、末は二人で心中か
十六七になるまでも、蝶よ花よと育てられ、
それが曲(くる)輪(わ)に身を売られ、
・・・
今では勤めも馴れまして、金のあるお方に使わする、
一度来るとこ二度も来る、二度来るところは三度来る、
さうして親方しくじって、つかひ果たして止(とめ)の客、
空虚(から)の財布を頸に掛け、破片(かけ)たお椀を手に持つて、
剰食物(おあまり)やないかと門に立つ、
その時や知つても知らぬ振り、それが女郎衆のならひなら、
つらくも高見の見物だ
私娼窟に墜ちるようなりきは幼い頃から辛酸を嘗めたに違いない。
にごりえの第七節は、涙無くしては読めない・・・
幼馴染のふとん屋(当時はステイタスの高い職業)を馴染みなったのいいが、
入れ上げすぎて没落し、とどのつまりは無理心中
堅気に戻れるとひととき夢見ただろうりきは哀れ・・・
それなりに葬式を出してもらえたのが唯一の救いである。
他方 美登利は姉が大黒屋の大籬(高級女郎)なもんで、
ちやほやと育てられ、性格もおきゃんである。
寺の跡取りの信如とは、磁力の関係みたいなもんで、ひかれ合うも反撥する。
ある日・・・何があったのか一葉は具体的には語らないが、一歩踏み出した日
先々玉の輿に乗れるって予感はかいもく感じ得なく、この物語はおわる。
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