2016年1月24日日曜日
愚の言葉狩り
封建的だとか、差別的だとか、姦しいにも程度問題。
ハラスメントとは、言い手の意識ではなく聞き手の印象に依存するというが、
この考え方は、倭国の刑罰体系論からすれば異端もいいところ。
しかし、他人様の感情を殊更に逆なでするのは大人気ない(笑)
しかし、言うべきことは言っておこう。
交ぜ書きは嫌いです。
理由は簡単。
見た目、名詞の漢字とかなの混在は美しくない。
美しくない斯様な習慣がはびこるのは、常用漢字の縛りにある。
大修館漢和には、五万字の漢字が掲載されているが、その一割でも使いこなせれば大したものだ。
日常使用する漢字の目安程度に提示されるならば、それでもいいが、
過度に拘束するのは間違いだし、ある種の文化破壊に近しい。
輿論と世論は明らかに違うし、違いの差には、重要な問題をはらむ。
委細は、蝸牛庵なる御仁の過去の日記に詳しい。
さて、障害者なる表記は差別らしい。
従って、障がい者が正しい、、、そうです。
反知性的としか思えない人権派が騒ぎ立てたんだろうが、多くの行政機関はそれに従い、汚い交ぜ書きを行っている。
正しい表記は、障碍である。
チャンと原典引用しますよ(笑)
「障碍」の字の由来について、故丸山一郎先生(元埼玉県立大学教授)がいうには「碍の本字は礙であり、
大きな岩を前に人が思案し悩んでいる様を示す。
つまり自分の意思が通じない困った状態。
意思が通らない、妨げられているという同じ意味の障と碍を重ねた障碍は
人が困難に直面していることを示す言葉であった」
ところが、常用漢字制約からやむなく類字の害を当てたというのが、歴史的な背景と考えられます。
悪意とか差別意識の成せることではないはずだが、
害の語義は総じてよろしくなく、差し障りがあるに近しい「そこなう」という語義は少数勢力。
名詞は漢字をあてるもの。交ぜ書きのような愚なやり方なんか思いもつかない中で
最善の選択を行ったのである。
さて、解決策?
簡単です。障碍と表記すればいい。
手続が必要なら、常用漢字表を改訂すれば済む話。
交ぜ書きで、お茶を濁す、あるいは本当の解決策を回避するような愚を犯すのが一番馬鹿馬鹿しい。
しかし、本当に正しい事が通用しないのが、今の社会ですので、
障害を障碍と書かずに、障がいということで正義やってると勘違いがその辺を闊歩します。
もっとも、障碍ではなく、障がいをみるたびに、愚な言葉狩りを忘れないという学習ができるか(笑)
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