2016年4月3日日曜日
当然の法理
法律で明文的に認めていようがいまいが「当然の法理」ってものはあるのだ。
憲法改正ができるからって言って人類の普遍的な概念を否定してもいいってことにならないのと同じ。
内閣法制局の過去の見解によれば・・・
法の明文の規定が存在するわけではないが、公務員に関する「当然の法理」として、
公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには、
日本国籍を必要とするものと解すべきである。
至極もっともな話しであり、およそ法律を学んだ(社会常識としてですよ)者として、
選挙権に「国籍条項」がつくのはあたりまえだと思うはずだ(被選挙権は言うに及ばず)
国政レベルではさすがにザイニチ(に限らず外国籍)に選挙権を与えるべきという暴論は聞き及んでいないが
地方レベルでは、人権派やらなんとか市民の会が声高に主張し、後押しする国会議員も散見される。
座布団バッチ組は主義信条にかかわらず支持基盤に対する期待値に答えればいいってレベルだから
どうでもいいのですが、なかなか鬱陶しい。
また、具体論で言えば、どの公務が「公権力の行使や国家意思の形成」かはちょっと難しい。
現場レベルの公共サービス程度はまあいいとしても、一般事務やその事務の監督職までと言われると(事例があるのですが)
いかがなものかという声もある。
一方で、外国籍の司法修習を認めないって暴挙も過去にあったりして、どうも腰が定まらない。
今でこの有り様。
国際化が進むということは、否応なしに「多国籍民族国家としての統治運営」のプリンプルが求められる。
生活保護受給に対する国籍条項のように「人道的見地の保護であって外国籍の権利ではない」ってな論理不可解な
事を言っていられなくなる。
かといって・・・
この辺は、クラッシクローマの歴史に学ぶべきですが、まずもって「寛容の精神」が帝国の血流だった。
そして「ローマ市民権」が国家統治の背骨
なかなか魅力ある権利であったようで、優秀な外国人が殺到したらしい。
しかしながらその後の市民権の乱発は、ローマ市民の劣化をまねき、衰亡の原因の一つともされる。
もっとも一番の滅亡原因は「キリスト教の国教化」だと思いますが・・・・
そういうことをわかった上で、移民(外国人労働者)の受け入れとか地方参政権問題を論じてくださいよね。
滅亡したと言っても、クラッシクローマはその偉業において西洋文明の源流たりえたが、
倭国なんか、あまりな愚行を繰り返せば史書の片隅にすら記載されることはないだろう。
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