2016年6月6日月曜日
すれ違いのダイアリーズ
日記、書簡という文学形式を払拭した日本文化は貧相である。
ボクの意見じゃなく、ドナルドキーン先生の卓見。
内省告白型一人称形式はわかりやすいし、取っ付き易いし、誰でも参加型文学形式である。
今風のSNS(ブログ等)もその延長線にある。
しかし、貫之、レディムラサキ、孝標娘、更には定家、荷風に至るまで、彼(彼女)たちは第三者に読まれることを
ある程度想定していたのでしょうか?
実のところ「書簡体文学」は、西洋人に如くものはない。
代表例は、危険な関係、若きウェルテルの悩み・・・
しかし、お手軽なところではこれ!
アメリカンらしくウキウキとして清々しい。
もっとも往復書簡ってことではなく、一方的に女性が手紙を書き続けるのですよ。
国産では、これなんかが世の女性の紅涙をしぼったものだ。
映画版が有名ですが、TV版のほうが好きです(山本學と大空真弓だったかな?)
さて、今どき日記文芸なんか流行りませんが、最後のベストセラーは多分これ。
気恥ずかしくて、口にするのも文字にするのも憚りますが(苦笑)
当時は結構なベストセラーだったのですよ
警視庁の室井警視の学生の頃の恋人だった「野口江里子の日記」なんかもうすこし話題になってもよかったと思うのですが
時代が悪かった・・・・
しかし、日記文学も「複数の書き手で構成」されると、これはこれで新たな地平を切り開く。
世に「交換日記」っていいますが、聞き及ぶに60年台の日本産らしい。
普通は男女間とされますが、高名な文学者による男同士の例もあるやに・・・・相当にキモい(笑)
なんにしても、今時はやらないコミュニケーションツールですが、それはそれでひねり方次第。
雨後の筍なみに氾濫するSNSですが、温故知新。
すこし形式の歴史を勉強する方がいい。
人里離れた寒村の小学校では、古臭いコミュニケーションツールがこんな素敵な物語を紡ぐのです。
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