2017年6月30日金曜日
明月記をよむ
二千年に及ぶ倭国韻文詩、つまり和歌ですが、
この世界の巨峰といえば、
万葉の時代 人麿
古今の時代 貫之
新古今の時代 定家
あとは、大胆に言ってのければ「その他」
近代以降は、進行形ですからいま時点の断定は無理ですが、断定出来そうな時期まで
歌道の伝統がもつかどうかは判らない。
案外しぶといとも思いますが、そのしぶとさを下支えしたのが、かの定家だと。
彼が生きた時代は平安末期から鎌倉初期の八十年
病弱の割に長寿でした。
なかなか筆まめであり、ほぼ生涯にわたり日記(明月記のこと)を書き連ねた。
しかし、都合よくも不思議とビックイベントの時期の記事は失われている。
子孫がなにか忖度したか?と勘繰りたくなる。
それに日本文芸史上の最大歌人であるにも関わらず、歌作の真髄は語られない。
様々な歌論書なるものの多くは偽書らしい。
かの明月記には超一流の歌人の姿は見えず、うだつがあがらず困窮する
愚痴と猟官に明け暮れる二流貴族の日常風景しかみえてこない。
しかしながら、つまらないイベントや噂話を事細く書き綴る神経と
狂言綺語を駆使した前衛歌人がどうしても重ならない(^^)
彼がエキセントリックな和歌を世に問うたのは、20歳代半ばから十年間程度。
若気の至りみたいなものですが、そこそこ才能が枯渇もせずに・・・
その後は、新古今の撰歌とか歌合戦のレフリーとか、作家というより評論家ですよ。
最後は正二位権中納言まで上り詰め、ノンキャリが本庁の局長になったような
ものであるっていうかそれ以上。
複数回の出勤停止という重い懲戒処分を受けた割に、ウンツキに恵まれました(๑˃̵ᴗ˂̵)
そんな事よりも、自宅謹慎の有り余る時間を、平安期の歌集や書物の写筆に
費やした。
彼の労力と御子左家(現在の冷泉家)の文書管理の辛苦のおかげで
失われてもおかしくない古典が原型に近い形で今に残ったのです。
本当に足向けて寝てはいけないとおもいますよ(キッパリ!)
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明月記原文は真名ですので歯が立ちません。
とりあえず、堀田善衛さんの明月記私抄で読んだつもりって事でご勘弁ください。
倭人の漢文って変に読みにくいのです。
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