2017年7月24日月曜日
我は忘れじ 命死なずば(反ナチス映画の系譜)
上の句は
和が家に 我が住坂の 家道をも
人麿妻の歌らしいが、であれば主語は妻だが、いささか解釈にひねりがいる和歌
まあ、下の句引用の為のマクラですから、和歌鑑賞はまたの機会(^.^)
持続する意志の力に致命的な欠陥のあるヤマト民族は爪の垢でも煎じて飲みませんとねえ。
あの屈辱的悲劇、蛮行は何時迄も語り訴え思い起こさせよう(我は忘れじ)
たとえ民族の最後の一人まで(命死なずば)
毎年のように手を替え品を替え、ヒトラーとナチスの悪業を主題とする
映画がリリースされる。
忘れないというより「忘れさせない」と言う暗い情念が背景にある。
商業主義のオブラートに包んでいるが、ある種のプロバガンダだと思われます。
大抵の場合、映像芸術的に良質だから始末に負えない。
ヒューマニズムだけじゃ商業主義的芸術は成り立たない。
ナンチャラ資金がそれとなく流入しているとおもうべきだ。
エマトンプソン
ブレンダングリーソン
二人とも英国の名優。アングロサクソン系と思いますが、
主義主張を理由にオファーを断るにはいささか「勇気」が入りますし、
キャリアを損なうような素材じゃない。
因みにですが、リチャードギアは、反中国言動が祟り、ハリウッドから締め出された状態。
今やインディペンデントからも忌避されている。
誰でも知ってるような露骨な圧力のかけ方は上手じゃないのですがねえ。
超大国の仲間入りしたんだから立ち居振る舞いも上品にやって欲しいねえ(^.^)
ヒトラーへの285枚の葉書
葉書と言ってもファンレターじゃない。
イデオロギーに毒されない体制批判、抵抗の葉書。
実話に基づく小説の映画化。
どの程度の史実を含むかは判りませんが、名優の競演ですから、
上手くまとまっています。
批判の葉書の多くは直ちに当局に通報され、抵抗運動の機運を盛り上げたわけではない。
一人息子が戦死し、その理不尽さなり気持ちをただ訴えたいと言うだけのこと。
「だけ」と書けば批判的に聞こえますが、静やかであるがゆえに怒りの強さが
ひしひしと伝わる。
ここからはプロ映画鑑賞家の憶測ですが、
ラストシーンは、史実でも小説の一部でもない。
映像化された際のラッシュフィルムにもなかったに違いない。
試写を観たスポンサーがなにか注文を付けたのです。
結果、誰が観てもプロバガンダである事の馬脚を現した!
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