2017年9月5日火曜日
天地明察を読みながら
大昔は将棋名人と囲碁名人が互角に囲碁将棋を戦っていたのだ。
異種格闘技戦ですなあ(^^)
ボードゲームはインド発祥。
東西に伝播する過程で、チェス、囲碁将棋に変化したらしい。
ゲームとしての優劣を論じても意味がないが、手数の多さが難易度ならば
その順位なら容易につく。
しかし、難度を上げてもゲームとしての洗練さがつろくする訳ではない。
将棋の原型のひとつに「大将棋」なるものがある。
自分でさしたことはないが、およそ、盤面が大きくコマ数が多く、
一見して妙味に欠けるという印象。
ダラダラと十年以上戦った応仁の乱よりも半日で終わった関ヶ原(笑)
迂闊ながら、渋川春海=安井算哲 だとは失念していた。
後者は、徳川家お抱えの将棋指し
歴史に名を止めるほどの達人だったらしいが、所詮は太鼓持ちのような
遊興芸人。
本当に強かったかどうかは?
なんせ将軍御前試合なんてヤラセ(事前の勝負を再現)ですから真剣味がない。
しかし、前者は有数の天文学者にして数学者。
理科系の才無くしてボードゲームは強くならないとは今に始まった事ではない。
当時の倭国は太陰暦ですが、唐代の暦を後生大事に使っていた。
当然ながら無視できない誤差が生じ、苦心惨憺の末大和暦(貞享暦)を作成し、
改暦という八百年ぶりの偉業とないなった....という単純なサクセスストーリーじゃない。
どの暦が正しいのかの判定は単純である。
定期的に発生する日蝕、月蝕を予測、当てればいい。
渋川の暦は百発百中だったが、最後にハズレ、信用失墜。
改暦の機運も失われた。
百点でなくても、五十点よりマシなら、、とは時の支配者は考えない。
捲土重来、ミスを発見し改訂版を作ったのはいいが、
失った信用を取り返すのは大変。
過去の科をいつまでも持ち出すのは倭人の性癖。
まあ、理科系の世界でも正しい事が通用する訳じゃない。
偽造する科学と思えば、人文も社会も同類項。
そこで、あちこちでの指導将棋で培った人脈を通じた寝技、立技、
駆け引きに手練手管の粋を極めた政治工作で勝利を勝ち取ったのです。
この功績により、渋川は太鼓持ち稼業は辞めて初代国立天文台館長に成り上がった。
冲方丁の天地明察を斜め読みしながら、佐藤名人がAIソフトに惨敗した棋譜を
眺めていましたが、あれは(限らずですがね)対局条件設定交渉の敗北。
ボードゲームはスポーツの要素も強い知的格闘技。
であれば、体格の違いは対局条件に当然加味すべき事。
体力や持久力に公平にしないとやはりヒトザルは不利です。
将棋連盟は異種格闘技戦とはなにかを知らなかったし、AIにも詳しかったかどうか?
対局場やフィールドだけが戦場じゃなくて「会議室」こそが
主戦場だと言い続けている。
もう諦めていますが、正しいことが通用しませんなあ(^^)
少なくとも会議室での格闘技ではAIはヒトザルに遙かに及ばない、、はずだが、
国際会議なんかの負けっぷりをみてますと、最初にAIに負けるのはヤマト民族に思えて仕方ない
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