2018年3月24日土曜日
何故にデパ地下に行くのか?
必要なものはネットで買えばいい。
居ながらにして大抵のものは手に入るから、時間の節約。
持ち運びの手間もかからない....
利便性だけを突き詰めた世界は無機的で愉悦がない。
非合法的恋愛の合法的な嫡出子である贅沢こそが資本主義の胎生である。
平たく言えば、贅沢は敵ではなく素敵なのです。
文脈から切り離されると意味が分かりにくいが、
全員が質素倹約の権化になれば、資本主義は成り立たないと感覚的でも
わかって欲しい。
スーパーやコンビニには行かない。
買い物をする突き上げるような衝動的な喜びがない。
寒村陋屋からはるばる穢土街中に出向く際には、リアル書店とデパ地下は
欠かせない。
書籍は一物一価だから何処で買っても大差がない。
そんな商法だから衰退する。
かけてくれるブックカバーがお洒落ならば、
それだけでその書店に足を運ぶのが...
新刊書のチェックを定期的にやっとかないと、
買い損なう、読み損なう恐れがある。
これは個人的には切実な人生の大問題。
他方のデパ地下。
寒村の徘徊老人がデパ地下をうろつくなんて非合法的恋愛みたいなものだし、
珍しげにあれやこれやと割高な商品を買い込む贅沢
特段生存の為の不可欠ないとなみではない。
だから「贅沢」というのです。
毎日三食
一年間で千食余り
あれこれ制約なしになんでも好きなモノが食べられる年数には
もはや限りがある。
まだ若いからと言っても一寸先は闇。
そう思えば、デパ地下食材漁りなんかは贅沢の域でもあるまいに。
我が家のケメ子様は好き嫌いが激しくて、
食わず嫌いの傾向もある。
豆腐を長年受け付けなかったが、最近は大のお気に入り。
そりゃそうだ!
スーパーの豆腐もどきはイヌも喰わない。
何がどう違うのは知らないが、デパ地下の真っ当な(値段もそれなりの)お豆腐は
実に美味しいんだって(^-^)
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