2018年4月25日水曜日
「蜜蜂と遠雷」をプロ映画鑑賞家目線で
主役群のひとり、栄伝亜夜の復活の可能性を印象づけた
ピアノソナタ。
音源を何度も聴いて指に覚えこませたと原作者は書きます。
楽譜を観るに凄そうですが「何度も」ですって!
アマデウスなら一回聴けば充分ですから、
彼女に与えられた神からのギフトは、中くらいの包みなのです。
でも、彼女には神の子からもギフトを貰います(ネタバレなのであまり書けない)
ピアノを持たず、正規な音楽教育を受けることなく、
まさに彗星のように登場したのが、養蜂家の風間塵
主役群の一番手で、まさに天才。
中村紘子さんが育て上げた音楽コンクール書類選考落選組の再チャレンジ演奏で
彼は何を弾いたのだ?
モーツァルト
ベートーベン
バッハ
原作者は曲名を語りません。
単に三人の審査員の畏怖、驚愕、憤怒....だけに言葉を費やすのは
いささか卑怯...というか休符なしで弾き続ける曲目構成を
考えきれなかったのだ。
しからば代わりに...と言いたいが、蝸牛庵はさらにダメ(^-^)
最終トライアルを含め四回の演奏機会に古典派から
現代音楽まで、用意する曲目は気が遠くなる。
課題曲は決まっていますが、演奏者のキャラクターに
応じた選曲構成を考えるのは、愉悦に満ちた苦行
良く出来た小説ですが、本屋大賞ならわかるが、
直木賞までとは....
音楽コンクールを舞台とする作品なら、
紘子さんの「チャイコフスキーコンクール」以外何もいらない。
エセーと小説の違いはあっても、
片や書庫に鎮座しても、今ひとつは近日中にブックオフ送り...
少し勿体無い。
ネチズンの間では映画化期待値が高く、配役の下馬評まで。
しかし、原作者は懐疑的だそうです。
天才や神童の饗宴を文字にするのも超難度なのに、
ピアノが弾ける程度の役者は居ても弾く俳優さんがいるわけがない。
加えて天才の片鱗を見せねばならない。
四人の男女からなる主役群は夫々の個性があり、
音源もその個性に合わせて四つ必要。
つまり、そのレベルと個性の似た四人のピアニストの協力が必要だが、
真面目に考えれば不可能に近い。
コンクール課題曲は、大衆相手の演奏会演目とは違います。
誰でも知ってそうな有名曲ばかりに換骨奪胎すれば、
素人芝居に堕してしまいます。
つまり「のだめ」の二番煎じ
邦画製作プロセスのお手軽さを知っていれば、
渾身の一作が泥まみれになることは必定。
本屋大賞作品は映画化定番なのですが....
どうしても真面目に映画化したいなら、
唯一可能性があるのが、浜松国際コンクールとの共作。
実際のコンクールを舞台装置にしてしまうのですよ。
コンテスタントも参加する....
コンクール開催費用の相当部分を負担すれば出来なくはない。
しかし、今年の開催は十一月ですから、間に合わない。
次回は三年後。
どうなりますかなあ(^-^)
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