2018年5月12日土曜日
絢爛たる暗号
この著作物が帝大の学者さまや大岡信、丸谷才一の手になれば、
学問の定説になれた可能性はたかいが、
戯作者もどきの放送作家の著述からか、無視されているのは
ありげな事。
百人一首には疑問が多い。
誰が(こればかりは定家以外の異説は影を潜めた)
何の為に(後述)
その前に、かくも凡歌人や愚歌を集めたものだ。
詞華集の王道をあまりに無視している。
このあたりの疑問に一応の解答をだしたのが、この労作
絢爛たる暗号(織田正吉)
結構な古本の類いだし、書店にあるかどうかは知りません。
86年末に紀伊国屋さんで文庫版を贖いました。
著者の結論には多少疑念がないでもないが、
この詞華集に対する立ち位置の参考にはなりましたので
未だに感謝するところは大!
歌集(アルバムもそうですが)、ひとつ一つを単独で賞味するものではなく、
全体を塊として把握しなければ意味をなさない。
だから、あいだに品下がるようなものを挿入することにも
意味がある。
箸休めがあるから、次のメインがより美味しくなる。
個は関連して全体を形成する。
百人一首のおかしみは、類語表現の山。
カルタ取りなら、お手つきのひっかけ問題みたいなものだが、
一度間違って覚えてしまえば、収拾がつかない。
まあ、言葉の連鎖、ある種のしりとりみたいなものから
全体が見えてくる構造になっている。
表面的には鎌倉御家人の依頼により選歌したということですが、
藤原定家は、鎮魂なりかつての思慕をこの歌集の
奥底に密かに秘め込んだ....ということが著者の結論。
しかし、個人的な感情の産物は、私家版として秘めおかれるもので、
他人様の頼み事に転流用したとは考え難い。
残念ながら、学界なる世界は史料第一主義
一級史料の虚報が、民間伝承の真実より優先される。
そもそも秘めたる真実なんか書いた文献はあるほうが不思議だと
思わないのかなあ?
しかし、古文書なるもの
読み解かれているのは全体のごく一部らしい。
解読者の絶望的な不足。
和紙に墨汁で書いた文献は、デジタルデータより遥かに
ライフが長いので焦ってはいません。
しかし、これもある種のデジタルサイエンティストのお仕事。
AIのチカラではやく読み解けるようになれば、
国文学のレベルも多少よくはなるだろう。
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