2018年9月9日日曜日
ふたつの希望....それぞれの諦観
お好みのリーガルサスペンスというかドラマ。
有史以来はじめてのレバノン映画体験
舞台は、中東の知的文化都市であるレバノンのパリこと「ベイルート」
しかし、かような美称も過去の話
度重なる中東戦争で半ば廃墟化し、人心も荒廃した。
キリスト教徒らしいレバノン人とパレスチナ難民は、些細な諍いから
暴力事件に発展し、周囲を巻き込み「第6次中東戦争前夜」の様相となった。
レバノンの裁判制度なんか全く知りませんが、奇妙な法廷てす。
傷害罪の刑事裁判のはずだが、検事が登場しない。
加害者、被害者双方の代理人のバトル
途中で賠償額の話になり...これって民事だっけ?と錯覚もする。
レバノンは、民族、人種、宗教、宗派それぞれの硝子細工のような
微妙なバランスの上に成り立っていたが、パレスチナ難民の定住化により
紛争の絶えない地域となったようである。
様々な紛争や戦闘の結果、誰もが加害者であり被害者でもある惨状
歴史の積層はオトシマエのつけようのない有様。
どちらにも大義や正義がある。
そのような硬質なものをぶつけあっても、
解決はどちらかの最後の一人までかかる。
事態を救うものは「公平」でしかないが、
正義を捨てて公平に委ねる事を受け入れるだけの度量を
神はヒトザルには与えなかった。
正確に言えば、個々のヒトザルは受け入れても、
集団となれば全く逆になる。
レバノンは検閲のある国らしい。
映画を作るのも大変だが、公開許可を得る事は更に苦労しただろう。
映画の最初のテロップには...
この映画が語ることに関してその何れもがレバノン政府の
見解を示すものではない。
エンディングは予定調和です。
当事者は言わず語らずの「和解」しました。
裁判所前での恒例の双方支援団体の小競り合いもありません。
しかし、問題は何一つ解決した訳ではない。
予定調和ですが、苦い結末....にしかならない。
昨年度のオスカー外国語映画賞のファイナリストのひとつ
候補になるだけでも凄いことなのです。
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