2018年10月14日日曜日
旅の始まり、そしておわり。
トラベルの起源は巡礼だろうか?
記紀を読めば「湯治」のようにも思えますが、これは世界史的にも特異な事例でしょう。
中世以降は、お伊勢参りなんかで巡礼メインの旅スタイルだが、
あちこちの名所旧跡訪ねあるき主体の旅で、どうも抹香臭さにかけるところが倭人らしい。
旅のアレンジは、伊勢講の世話人とか先達、御行師がやったみたいだが、途中はオプショナルの山(笑)
西洋だとベネチアの商人だろうか?あるいはジェノバ。
倭国と違って今も当時も物騒な所だからそれこそ命懸け。
地中海なんてアラブの海賊まみれで突捕まれば奴隷商人に売り飛ばされるなんて
つい最近までの風景だと、塩野女史は言います。
アルジェリアやリビアをフランスが征服して以降地中海の波が穏やかになったのです・・・だから独立後は(まああんなものですよ)
近代的な意味での旅行代理店は、エゲレスのトーマスクックツーリストを嚆矢とする事は
歴史常識。
あの「80日間世界一周」でも、主人公(デヴィットニーブン)がクック社に旅行のアレンジを依頼するカットがあった。
因みにクック社は、1830年代の創業。
ふと気になった。
ベルヌの原作本だが、同じ時期に刊行されている。
偶然だか、因果関係有りかは知らない。
聞き及ぶに、ベルヌ協会なる組織かあり、最短世界一周のレコードに賞金を出すそうな。
いまんところ、45日間くらいが記録らしい。
プライベート輸送機関は使用禁止とか原作に登場する輸送機関に限るんなルールがあるのだろう。
最近のツーリストエージェントは、様々なツアーのアレンジをやってくれます。
旅行日程未定の火星旅行(胡散臭いがなあ・・・)
小栗版人外魔境ツアー(あれば絶対に行く!)
三瀬川横断旅行(万人が必ず行くし、別にツアーコンダクターが居なくとも、勝手に現地で待っています)
三途の川の渡り方もお作法があるようで、祖母の時は、白の旅装束に草鞋を履いて渡し賃が六文銭。
安いか高いか分からないが、現世の行いで渡しのルートが変わるらしい。
渡し賃をたくさん出せばって資本主義の理屈は通用しない。
カネさえあればなんでも買えるわけではない。
そういう事だから、三瀬とも三途とも言う。
良い子悪い子普通の子で渡り場所が変わるってことです。
中世までは、三瀬ですがあるころから三途にかわったようです。
0 件のコメント:
コメントを投稿