大正の始め
中国東北部から貧しい二人の兄弟が流れ流れて
倭の神戸の南京街にたどり着いた。
糊口をしのぐため、二人は細やかな饅頭の製造販売を始めた。
寝食を忘れ商売に精を出し...
早い
美味い
安い
の三拍子で、流行らぬ筈はない。
豚饅と銘打ち、けだし、豚に羽が生えたように売れて行き、
行列が絶えることはなかった。
ヒトザルは艱難辛苦は共に耐え忍べるが
冨貴享楽は独り占めをしたがる。
利益の配分やら、可愛くてグラマーな店員のとりあいやら
ゴキブリと諍いの元はやまとある。
やがて二人は袂を分かち、
兄は南京町
弟は元町5丁目の路面店
とそれぞれにお店を構えて...はや百年。
以上は物語的にはそうなんだろという想像の産物で、
実在の人物や店舗、出来事に類似していても単なる偶然の一致。
南京町は老祥記
元町は老祥紀...と屋号は同じではない。
ネット記事的には
行列ができる豚饅屋
行列が出来ない豚饅屋
と揶揄されるが、行列が出来ないどころか客の姿すら
見ないことの方が多い。
南京町は十数人の従業員を抱え、日産一万個だとか
元町は、土地建物が自己保有で、賃貸収入があるに違いない。
そうでないと家内工業でもいささかしんどい。
みなと神戸の巨大な商店街とはいえ、南京町辺りを過ぎれば、
シャッター通り寸前。
豚饅屋を辞めても次のテナントが入らない。
日曜日のランチ時
モノは試しとお店に入って、三個セットを注文。
南京町よりも、セットで三十円安いが....
客はパラパラ、蒸し上がった豚饅が、客待ち顔に段々と冷えつつある。
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