2019年6月3日月曜日
王家の谷
その時代の埋葬の伝統と社会政治的構造を真実性と完全性をもって
証明している事が顕著な普遍的な価値...だそうで、
行政により適切な保護管理もなされているらしい。
かつては百基あまりの古墳があったが、いまやそのかずは半分。
相当かつ重要な遺跡は宮内庁管理で
ロクに学術調査もされていないが、それでも、伝統と構造の
真実性が担保され、適切な保護管理もなされているとの事。
そもそも私的な宗教施設を観光資源にしようなんて企みは
不敬反尊皇のきわみで如何なものかと思うけど、これを機に上代史に興味を持つ
ひとが増えるならば悪い話でもない。
正確には、百舌鳥古墳群(◯)古市古墳群(●)のセット登録
14 仲哀●
15 応神●
16 仁徳◯
17 履中◯
18 反正◯
19 允恭●
20 安康
21 雄略●
22 清寧●
23 顕宗
24 仁賢●
25 武烈
河内王朝ともいわれるが、それ以前と以後について万世一系かどうかはさておき
巨大な権力集団が存在したことは確か。
それに、本当にその天皇陵かどうかは発掘して墓誌でも確認しないと確かな
事は言えない。
宮内庁が発掘を許可しない本音はそこ。
やぶへびになることは明らか。
不合理であることと信じることは別
神武以来の皇統譜は、倭人の共同幻想ですが、それのどこが悪い。
しかしアタシは、この皇統譜を信じていません。
仲哀の次の天皇は、神功皇后
清寧の次の天皇は、飯豊青皇女
大正の頃、皇統譜改定の際に女性天皇を排除したい策謀があったらしい。
男性ならば、愚昧でも罪人、僭皇まで皇統譜にのっけたんですよ。
更に武烈で河内王朝の男系は途絶しました。
やむなく武烈の姉妹である手白香皇女が越前の有力権力者を
お婿様とし、継体天皇(応神の五代後の末裔とされる)となり
女系で万世一系をつないだのです。
正確に言うと、次の安閑天皇は手白香皇女のお子様ではないので
女系と言い切るには多少乱暴かも(^.^)
せっかくの機会だから、上代史に想いを馳せ散策に出向いてもいいが、
熱中症に倒れるのがオチ
秋になればかんがえよう。
補足
やたらと数が多いのは、大半が陪塚だからです。
Satellite mound と言うと分かりやすい。
副葬品の収納墳と言われるが得心感はない。
親族や臣下のお墓と思われます。
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