2020年1月20日月曜日
説明責任.... accountability
本来の英語のアカウンタビリティの意味としては
統治と倫理に関連し「説明をする責任と、倫理的な非難を受けうる、
その内容に対する(法的な)責任、そして報告があることへの期待」
だとウィキには書いてます。
アメリカン由来の、上に立つ者、権限を行使するものの
当然の義務なんですが...
しかしミランダ警告を知らないのかね?
抜粋するに...
You have the right to remain silent.
Anything you say can and will be used against you
in a court of law.
倭国の憲法38条にも認められる自己負罪拒否特権
なんかこの用語をつかうと知的に聞こえますが、
罪に問われそうなヤバイことは喋らなくてもいいってこと。
説明責任(アカウンタビリティ)だって
最高法規で保証された黙秘権を排除できるものではない。
つまり法的な義務ではなく倫理の問題。
だから、法的責任(違法性の告白)を強要しているとしか
思えない説明責任の大合唱は、すぐれてハンジンケン的なのよ。
罪に問われる可能性があるから黙秘する事が悪いことかね?
そもそも政治を家業的に飯のタネや蓄財の手段としか
考えない輩に徳目を求めるのが間違い!
大合唱するならは、司法に対して
訴追義務を早急に果たせ!!
上級国民への情実や忖度は許さない!!
児島惟謙大先輩が泣いているぜ!!
でしかない。
逆説に言いましょう。
説明責任を果たさない...即ち果たせないとは
果たせば自己負罪拒否特権の放棄が出来ない
つまり、有罪自白になる。
要するに嫌疑濃厚の間接証拠であり、巨悪を眠らせるな!と
司直の出馬となる...
根掘り葉掘り調べらるのが嫌なら、
弁護士陪席でもいから潔白説明をやればいい。
でも、うそつくと偽証だからね(^^)
これがあるべき法の正義のサイクル
しかし残念ながら「あるべき」とは現実がそうでないとの
間接説明
0 件のコメント:
コメントを投稿