三兄弟である「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教」
親子も兄弟も他人の始まりだから、仲良く出来ないこともあるだろう。
一神教なるもの、信じる事で選民意識と排他性が高くなり、
異教徒への愛情表現が「愛の鞭」となるのが迷惑。
しかし、一番難儀な存在と思われるイスラム教って
歴史を斜め読むに...しごく凡庸な宗教であり、あの過激性は
どこからきたのだろう?
以下昔ながらの表現を使いますが....
マホメットは生涯平凡な商人であった。
偶々アラーの神の啓示を受け預言者になった。
妻が最初のお弟子であり、最後は何人めかの若い妻の膝枕
基本教典のコーランはマホメット逝去後暫くして作成された。
ほぼ同時代的だから、煩雑な神学論争もなく
異端裁判や宗教戦争も経験していない。
コンテンツは優れて単純です。
六信五行...たった六つのことを信じ、五つの行いをするだけ
まるで、仏陀の
四苦(生老病死)脱却の為に八正道(八つの行い)を!
のようなもの。
世界宗教になろうとすれば、寛容で分かり易いのが必要条件
十分条件は、もちろんセールスのテクニック。
キリスト教のパウロのような才覚ですよ。
そんな平和な宗教から偏狭な過激集団がどうして生まれるのか
まだ解らない。
出口治明さんは、信仰に起因するものでなく
ユースバルジを良い方向に導く政治的指導の問題だと言います。
正解かどうかは分かりませんが、
未来展望が閉塞すれば絶望から過激か諦観のいずれかの
道を選ぶ...というのはその通りだけど。
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