2020年5月23日土曜日
ポスト・パンデミック
感染の世界史を読めば、当たり前だが、歴史を動かしたのはパンデミックだと断じている。
歴史は複合的な要因で変化するものだから、
あるエレメントだけに還元するのは正鵠を得ているとは言い難いのではないか?
しかし、西洋の人口が半減に近くなる迄の災厄をもたらした黒死病は、
掛け値なしに近世の扉を開き、ルネサンスと宗教改革をもたらした。
あの「スペイン」風邪(パンデミック1918)だって
現代史の二大災厄(ワイマール体制とロシア革命)誘因の大きな要素と言えなくもない。
今回の李文亮氏病が過去のパンデミックに相当するような災厄か
どうかはまだなんとも言えない。
誤解を恐れずに言えば、死亡者の数(認知数)はパンデミック1918の僅か1%。
しかし、WW1中の戦時景気で経済的なダメージは限定的であったものの、
戦後の反動が世界恐慌の遠因ならば、今回もかなり悲惨なことになるのかも...
そんなシリアスな状況のなかで「ニューライフスタイルのすすめ」とは
なんとも長閑な風景である。
いつ緊急事態宣言が解除されるかの一喜一憂も愚かしい。
小役人ならば、この程度でも致し方ないが、
統治者のやるべきことは他にある。
今、国際外交論のキーワードは、Gゼロ無極化時代
これからの国のかたちの再設計を多角的に有識者(私益や利権に無関心な碩学や知識人等)を
集めて議論・提言をして貰うべきではないのか?
仮にも命名するならば「日本再々洗濯会議」
百五十年前、土佐脱藩郷士の姉宛の手紙に曰く...
二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、
朝廷より先ヅ神州をたもつの大本をたて、
夫より江戸の同志はたもと大名其余段々と心を合セ、
右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、
日本を今一度せんたくいたし申候....
現象面だけ見ても駄目さ加減は結構見えてきた。
田布施の不忠の晋だって、同じ官庁から二度首吊りの足を
引っ張られて黙っている訳がなかろう
テレワークの勧めなんて言ってはいるが、
オンライン授業環境にない教育現場となんら変わらない
企業現場だとまだ自覚しないのかね
グローバルエコノミーの脆弱性には何度も痛い目にあっているが...
如何にも組織は合理的に考えて不合理なことをやるものだ。
実際のところ、喉元過ぎれば熱さも忘れる健忘症が国民病
仮にもこの程度で災厄が終息するならば、
当然にツケはあとから回ってきます。
本当は「幸な結果」なのかどうかは...未来が見えないものには判らない
0 件のコメント:
コメントを投稿