水無月祓もおわり、、、、王朝美學的には秋の風情。
七夕や天の河の和歌が......
それでなくても右脳と左脳での季節感の差異の居心地の悪さ。
この齟齬感がなんとも......加えての気象の異常感
毎日鬱陶しくも降る雨
天気予報的には「梅雨」というのでしょうが、気分は黴雨。王朝美學の世界では「五月雨」
つまり、俳諧の世界では梅雨というが、和歌集では五月雨。言葉としては五月雨が先行しますが、なくなったわけではなく、句集にはどっちも登場します。
気取った一句は五月雨、俗っぽく詠めば梅雨と、、、使い分けている?
天の河八十瀬も知らぬ
五月雨に思ふも深き
雲の澪かな(千五百番歌合 夏 定家)
思ひやれ
訪はで日をふる
五月雨にひとり宿もる
袖の雫を(金葉集 恋 肥後)
定家の和歌は歌想がぶっ飛んだみたいな異次元の夏歌。夏に銀河かあ、、、マルチバースはあの時代からあったのだ。
肥後は十二世紀頃の宮中の住み込みのキャリアウーマン。
堀河院艶書合なる、、、懸想文なり恋歌の優劣を競う歌合の際の一首。普通の歌合と違い、恋歌の相聞形式である事が特徴で、後世に残る。
ふる....経ると降る
もる....守ると漏る
降る、漏るから縁語の雫とよくある技法なんですが、
長雨のなか部屋に閉じ込められるように彼が訪ねてこない日々。袖にかかるは降る雨の雫か吾が涙か
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