橘玲氏の「バカと無知」のあるチャプターのタイトルですが、皆目「思考の補助線」の役目を果たさない。つまりアレコレかいている割に焦点が定まらずアタマのなかが支離滅裂。
著者を非難しているのでなく、それくらい素材になりにくいって事、、、なんですが、避けて通るのも難しい。
アタシの常套文句
それは差異ではあるが優劣ではない
文化人類学の基本的テーゼなんて枕詞をつければ、これで論争は有利なうちに終わる。
しかし、よくよく考えればこれは「詭弁の一種」だ。
優劣でないなら、貴卑でもないのか
貴卑でないなら、軽重はどうなんだ
理屈を際限なくいい出せば迷宮にはいるだけ
普通の、、つまりバカではないヒトザルならば、差別主義者だとカミングアウトしない。が差別心情の多少が皆目ない知のヒトザルも考え難い。
差別云々の自己合理化に如何にヒトザルが腐心しているか、自己韜晦しようとしているか、痛々しくなる。
その差別の背景に「偏見」がある。
国語辞典的には、公平中立ではない立場や見解
とされる。
が、殆ど無内容です。
公平とか中立とか、立ち位置により誰もが(中立はさておき)、「公平」を標榜している。
差別と同じくらい「不公平」は忌避されますからこれは表向きは当然のこと。
空気さながらにあちこちに蔓延しているに違いない偏見と差別(の感情)
ないとか無くすとか、、不毛に近いことに努力することよりも目に余る事を是正し顕在化しないようにしてきたのがいままでの本音のような気がします。
ヒトザルは社会的な動物らしいので社会関係を損なわないように、物言いや態度に注意を払ってきた。
それを「寛容的」といいます。
しかし、それも己れの立ち位置に一定の安定感があってのこと。
身の上や先行きに不安があれば、そんな長閑な事を考える余裕がない。
上流を罵り下流を踏みつける事が、とりあえずの不安解消なりカタルシス、、、なんてことが昨今の風潮
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