日中15年戦争と呼ぶ向きもあるが、これは左翼偏向史観。
常識的には昭和12年の盧溝橋事件からカウントする。
当時の言い方は支那「事変」
お互いに宣戦布告をしない戦争ではない単なる紛争、、、、というにはあまりなスケール
どうして「戦争」ではないのか?
不戦条約原締結国として「戦争」をするのは如何なものか、、、なんて国際法の信義を尊重したのは明治政府のはなし。
真の理由は「経済実利」だったと加藤陽子先生は仰います。
当時のアメリカンには「中立法」なる、、、戦争当事国に対する経済制裁法が存在した。
・武器輸出の禁止
・民生物資の輸出制限
・金融取引の制限
蒋介石政権のお家の事情はさておき、帝国としては、実に困ったことになる。
石油が入ってこないわ、NYの金融市場から締め出されるわ、、、、国がにわかに立ちいかなくなる。
アメリカンとしても、アメリカ国民が紛争に巻き込まれない為の「手段方策」という位置付けですから、特段経済制裁をやりたい訳でもないが戦争を抑止する為に経済力を活用するって当時的には巧妙、、、とかなんとかあって、奇妙な「戦争」が1942年の12月迄続いたわけです。
戦後、、、いやいまでもアメリカがクシャミをすれば倭國は風邪を引く。
従属国意識が抜けないのだが、別に戦後に始まったことではない。
戦前からアメリカンに経済的には隷属していたわけ。
そんな有様を打開しようと色々苦心惨憺備蓄やらに努めたが、基本的な国力の差は如何ともし難く、爪に火を灯すように頑張っても一年とか一年半
実際の戦局もそんなものだった。
そんな事は常識として分かっているエリート達がどうして事を構えたのかねえ?
今につながる悪しき精神主義
百発百中の一門は百発一中の百門に打ち勝つ、、、科学的合理性でもって完勝したはずの連合艦隊ですらこうだもん。
高射砲製造工場を視察した際の東條の訓示
B29を撃ち落とすのは大砲ではなく精神力だ(^^)
笑っちゃいけない
よく似たリーダーが令和の世にも沢山います
.....
加藤陽子先生の学恩に感謝し、ご近影を、、、
なんですが、桜蔭から赤門というエリート女子の知性溢れる御写真は恐れ多いので、同姓同名のチェリストの清楚な写真をお借りしてきました。
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