根岸や鶯谷の話題は幾度も・・・ってことですが、豆腐(豆富)の思い出でも
創業三百年になんなんとするとうふ料理の老舗が、鶯谷駅の近くにある。
浅学菲才の身ゆえ知らなかったが、寛永寺の法親王が京の都から持ち込んだのはさえずりのきれいなウグイスだけではなく、京都の絹ごし豆腐もそうだった。
創業者は、お供をしてはるばると野暮とバケモノしかすまないかの地までやってきたのです。
その後、紆余曲折があったのでしょうが、ちゃんとお店を構えています。
以前に訪れたのは半世紀近く前。
在任中に病死をとげた先輩の仮退院祝いの席。
病み衰え、食も細くなり・・・
豆富くらいなら食べれるだろうっと、上司の役員と部長のお手元で四人で卓を囲む。
当時は、末席で一生懸命水割りを作ってました。
思いがけなくも先輩は食が進み、明るく談笑。
今から思えば、燃え尽きる前の蝋燭の輝きだったのかもしれません。
近くに子規庵が有り、正岡子規もご贔屓だったらしい。
細川家に預けられた赤穂浪士に、法親王が差し入れたのもこのお店のおとうふ。
聞き及ぶに、幕閣では浪士の処分をどうするか考えがまとまらず、困り果てて、綱吉は法親王に相談したとか・・・
世間知に乏しい皇族の「粋な意見」ってにわかに信じがたいが、そういう文脈で、この「差し入れ」を考えれば、なんか得心するところもある。
名題の俳句めいた戯言は、自作の腰折れだと思っていたが、、、実は正岡子規の作品のモディファイ版
自前の句集を出すのはいいが、盗作剽窃の汚名だけは避けませんとねえ
よくよくみれば、こんな俗な写生風景な俳句をアタシが作るわけがないんだが、、、
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