2025年10月1日水曜日

旅の始まり、、、そして終わり

 



トラベルの起源は巡礼らしいが、とんでもない「苦痛」でもあり、ラテン語語源からはそのように理解出来ます。

記紀の世界では「湯治」ですが、中世以降はお伊勢参りなんかで巡礼メインの旅スタイルにみえます。しかし、あちこちの名所旧跡訪ねあるき主体の旅で、どうも抹香臭さにかけるし、旅のアレンジは伊勢講の世話人とか先達がやったみたいだが、途中はオンナと酒のオプショナルの山(笑)

西洋だと倭国と違って今も当時も物騒な所だからそれこそ命懸け。地中海なんてアラブの海賊まみれで突捕まれば奴隷商人に売り飛ばされるなんてつい最近までの風景だと、塩野女史は言います。
アルジェリアやリビアをフランスが征服して以降地中海の波が穏やかになったのです・・・だから独立後の物情騒然は先祖帰りの当たり前の風景

近代的な意味での安楽な旅行代理店は、エゲレスのトーマスクックツーリストを嚆矢とする事は歴史常識です。
あの楽しい旅行映画である「80日間世界一周」でも、主人公の貴族(デヴィットニーブン)がクック社に旅行のアレンジを依頼するカットがあった。
因みにクック社は、1830年代の創業。

ベルヌの原作本だが、同じ時期に刊行されている。
因果関係有りと考えるべきだ
聞き及ぶに「ベルヌ協会」なる組織かあり、最短世界一周のレコードに賞金を出すそうです。
いまんところ、45日間くらいが記録らしい。
プライベート輸送機関は使用禁止とか原作に登場する輸送機関に限るんなルールがあるのだろうが、あんまり話題にもならない。

そりゃそうでしょう(^^)

最近のツーリストエージェントは、様々奇天烈なツアーのアレンジをやってくれます。

旅行日程未定の火星旅行(胡散臭いがなあ・・・)
小栗虫太郎版人外魔境ツアー(あれば絶対に行く!)
三瀬川横断旅行(まさか片道じゃないわなあ)



さて、今日の本題はここから

三途の川(三瀬川)の渡り方もお作法があるようでして、祖母の時は白の旅装束に草鞋を履いて渡し賃の六文銭をもたせました。
現世の行いで渡しのルートが変わるらしいが、地獄の沙汰もカネ次第というのだから、賄賂紛いの金員も持たせたに違いない。
建前は渡し賃をたくさん出せばって資本主義の理屈は通用しないってことになってます。

三途とか三瀬とは、良い子悪い子普通の子で渡り場所が変わるってことを意味します。
中世までは、三瀬ですがあるころから三途にかわったようです。


亡母は、自分で旅立ち着を選び予め準備してましたが、、、一番お気に入りで高価な作家ものの友禅の訪問着に西陣の錦帯。

余りの勿体なさに、、、(^^)


あたしは、既に亡父伝来の仙台平五つ紋と決めてます。

能舞台用の晴装束ですが、あまりにも絹糸の目が詰みすぎて重くて重くて、、、実用的でなく馬子にも衣装というが、それは程度問題。


最初にして最後の出番かも。でもまだまだ先だけどね

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