2014年8月2日土曜日
クラッシク音楽だって世界文化遺産だろう・・・・
少しばかり大衆人気のある作曲家の手になる「大作曲家たちの履歴書」なんかを
拾い読みしています。
この手のご本は「大作曲家」の選定で、真価が決まりますが・・・
いわゆる正統派のクラッシク系ばかりです。
バッハ
モーツァルト
ベートーヴェン ・・・に始まり、ロマン派が群れをなし、
掉尾の一振は・・・
シェーンベルグ
ストラヴィンスキー
圧倒的にドイツ系で、ついでながら的にイタリアとフランスにロシアが少し・・・
大衆音楽の世界では、作曲家は職人の領域にプロットされるが、
クラッシク音楽ならば、芸術家と一段高く祀られる。
そもそも、音楽が大衆系と芸術系に夫々のドメーヌに分類されるようになったのは
ベートーヴェン様の頃からでしょうか?
それまでの音楽家は、職人程度にしか思われていなかった。
だから、バッハ様は回文のような冗談音楽(要するにカノンです)を平気で作ったし
モーツァルトさんは、とどのつまり「お母さんと一緒学派」なのです。
芸術家なんだからってことでシンフォニーのような純粋音楽の作曲に力を入れたのはいいのですが
本来の「音が楽しい」はどこに行ったのでしょうか?
辛気臭い無標題音楽より官能と退廃のイタリア・オペラのほうが面白いに決まっている。
芸術と言っても、所詮は「一時の慰安と享楽を提供するもの」でしょう。
ところが、純粋音楽の追求を徹底的にやれば
リストからワーグナーの流れにおいて(ワーグナーの2番目の奥様はリストの娘です)
音楽から調性がなくなった。
更にシェーンベルグにより無調が完成し(この著者は「大作曲家」とは認めていないようですが)
ジョン・ケージは「五線譜から音符まで奪って」しまった。
調と音符のない音楽は、もはや音楽とは言わないのですが、
200年の西洋音楽史は、ここに滅び去った・・・人類史に残る偉大な文化遺産なのです。
21世紀の音楽はどこにいくのでしょうか?
能・歌舞伎同様に「古典の再演」を繰り返すだけでも文化遺産保全の価値は十分ありますが
それは、新たな芸術(形式)の創造とは言わないでしょう。
なもんで・・・来週は「フィガロの結婚」のライブビィーイングなのです!
イケメンのフィリップスジョルダンがダイエットに成功した姿で指揮棒を
振ってくれると嬉しいのですがねえ・・・・
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