2015年4月30日木曜日
仄暗い街灯は時をとめることが出来るか?
霧に咽ぶ街には街灯がよく似合う。
それも白熱灯のような明るさよりもガス灯のような黄色味のほのぐらさがいい。
倭国の街灯の歴史は…明治の初めの横浜は関内に始まるらしい。
街灯と石造建築な街並みは似つかわしいが、木造建築の世界は
火事の危険もあり、危なくてしょうがない・・・というよりも、江戸時代には
犯罪が極めて少なく、必要がなかったということらしい。
なんかあれば、御用提灯をひっさげればすむはなし。
町内ごとの木戸番
五人組の相互監視
微罪でも重罰で威嚇する
巧妙な治世の要諦である。
パリの街に街灯ができたのは、ルイ十四世のころ。
当然に観光資源ではなく、治安対策
効果のほどは・・・・まあ暴動の度に最初に街灯が破壊されたところをみれば、
それなりの効用はあったようです。
最初は、蝋燭。その後はオイル、ガスと進化したようですが、
今時であれば、監視カメラを叩き潰すほうが手っ取り早い。
しかし、権力の至高性とは「闇の支配より時の支配」である。
改元という制度
閏年制定の勅令
今だに明治天皇の勅令を法的に有効とし、和暦を捨てようとしない立場とは
どういうものか、その本質がよく分かる。
想起せよ!
パリの七月革命、パリコミューン。
民衆は、まず、時計台を破壊した。時間こそ王権の象徴である。
・・・さらに言えば、産業革命以降の賃金労働者は、時を支配される存在となったのです。
無駄な浪費としか思えない高額腕時計への偏執的欲求も、その文脈で
考えれば、幼児趣味的な時間の支配もどきな生業だろうが、そう思えば
あながち、バカにするものではない。
自らの魂を悪魔に売り渡す呪文こそ・・・
時よ止まれ!お前は美しい。
とどまるはずもない時間をあえて、自分の魂を悪魔に売り渡してでも
停めたい最高の瞬間。
いわば、己れの実在証明である魂と時の支配の交換である。
そんな最高の瞬間を人生で掴むことができるかどうかは知らない。
ファウストは、この言葉を口にすることで、メフィストフェレスに魂を
売り渡す憂き目を見たのか・・・・大昔に読んだだけなので記憶は曖昧。
調べ直すことは訳無いが、この手の話は、曖昧状態のままほっておくのが一番
さらに言えば・・・多くの誤解がある。
その理由は、ミュンヘンオリンピックの記録映画
時よ止まれ! 君は美しい。
この映像を観ながらだと・・・・普通は「おとめの姿 しばしとどめん」って思ってしまう。
当時の映画人は、才気ばしりすぎています。
原題は、visions of eight
当時の一流どころの映画監督八人によるオムニバス記録映画
でも、美しい誤解かもしれません。
この大会ではあの「黒い九月事件」なんかが発生しました。
選手村の街灯のなか、フェンスを乗り越えるテロリストは、警備員により確認されていたが、
イスラエル選手の「夜霧のしのび逢い」からの帰宅だろうと・・・・
結果、多くの犠牲者と数十時間の競技中断。
当時のIOC会長が、ユダヤシンパであれば、大会は中止されたかも・・・・
時が止まる瞬間
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