2015年5月1日金曜日
ある私鉄沿線
池袋には、西武と東武が並んでいる。
西の武蔵野と東の武蔵野のことなんだと思います。
しかし比較対比されるのは「西武対東急」
東武の根津一族は甲州商人の末裔だし、
茶事に造詣も深いので、同郷の阪急と比較する方がいいからだろう。
あるいは・・・
箱根山戦争で小田急に肩入れした「五島対堤対決」のイメージが強いから。
創業者の個性は、どっちこっちはない泥棒匪賊的である。
スキャンダラスさの差で西武のほうがなにとか話題になりやすいが、
堤家の奇っ怪な家族構成やら銭目当ての骨肉の争いには興味はない。
イメージ的には、西武のほうが負のイメージ。
何に起因するのかは知らない。
芸術のパトロンとしての資質は収集品に鑑みて圧倒的に五島慶太
血を引いた文化人気取りの二代目のレベルも・・・まああんなものでしょう。
池袋と渋谷
ダサい埼玉の山間部とお洒落な箱根・横浜
団地と病院群対戸建住宅街と大学群
好き嫌いはともかく、西武沿線が芋臭いことには紛れもない。
戦後しばらくは糞尿輸送列車が走っていたくらいで、帰り便に青果物を山と積んでいたらしい。
食糧難の時代に都民の暮らしを支えたのであるから、馬鹿にすることではない。
大東京から西へ・・・
中央線
西武新宿線
西武池袋線
と三本の路線がほぼ平行して走ります。
中央線は文化人の路線
西武はといえば・・・庶民派、よくて市民派路線
大規模団地が沢山あるからでしょうか?
不思議なことに、西武は遊園地を作っても宅地開発や学校誘致には積極的ではなく、
住宅公団におまかせだったようですし、沿線の学校の数も比較的少ない。
ところで所謂「ブルーカラーベルト」よりも西武沿線は革新支持率が高いそうです。
そういえば、日本共産党主催の「赤旗まつり」は、長く狭山湖界隈で行われていました。
ライト的な鉄道会社にとっても、乗客が増えるのはありがたいこと。
思想を越えて、利害が一致したってことは容易に想像できます。
もっとも、当時の上石神井の寓居(駅から近いのですが、周囲はキャベツ畑という長閑さ)の
住人にとってみれば、数万人規模で大移動する祭り参加者は鬱陶しい以外何者でもない
先鋭であるべき前衛が「うたっておどって革命か?」って揶揄ってましたが、
相応の党勢拡大に寄与した・・・のかどうかはわからない。
一方で、新左翼と呼ばれる、団地より遥かに格下の民間木賃アパートに住まいする連中は、
ヘルメット姿も凛々しく街頭でゲバルトを繰り広げてました。
60年安保闘争以来の京大生の死者を出したのは、68年10月のこと
おりしも、赤旗まつりの真最中だったそうです。
その後「赤旗まつり」の開催場所は変更され、一帯はライオンズの街になりました。
そしてちょっと田舎に行けば懐かしいあの「トトロの世界」
おぞましい「狭山事件」なんか・・・もう一部の支援者と好事家しか覚えていない。
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