2015年4月5日日曜日
職業に貴賎・・・「あり!」
改めて「司馬遷の史記」を読んでいます。
百三十篇、五十二万字あまりの超大作ですから安直に「七十編の列伝だけ」・・・(笑)
列伝とは「個人の伝記」の類いである。
一国の総理大臣格から市井の一市民まで・・・貴賎都鄙の区別なく
義と情をを重んじ
持てる能力を最大限に生かし
時節時流をうまく掴み
功名を天下と青史に轟かせたさまざまな人々。
人生と世間のすべてがこの中にある。
物事には順番があり、やっぱり「巻頭」というのは重要であり、
司馬遷の生き様の本音みたいなものがにじみ出る。
伯夷列伝・・・利よりも義を重んじた二人の隠人
管安(正確には日と安)列伝・・・覇者をサポートした政治家
老子韓非列伝・・・老荘思想の老子と法家の韓非子
が巻頭の三編
眼光紙背を見るに彼の人物哲学なり歴史に対するたち位置が見えてきます。
しかしながら・・・巻頭も大事だが「巻軸」も無視してはいけない。
悼尾の一振って巻頭同等に「大事」なのですよ。
史記百三十篇の巻尾を飾るのは「貨殖列伝」。
賎業ともいうべき「工人・商人」の類である。
列伝一編の分量はせいぜい短(中)編小説程度ですが、この伝はかなりの力作です。
広い国土全般を網羅して多種多様な商人・・・流通業者が登場します。
司馬遷は「老子が理想とする小国寡民国家」を否定はしないが、
理想の産物としてその実現には否定的。
採集経済のような理想郷でもなければ成り立たず、
正当な交換を主とする自由主義経済こそがリアリズムだと断じる。
財を愛する「我」とは、釈尊、王侯貴族に限らず万民共通である。
財を追求する方策(選んだ職業)に貴賎なんかはあろうはずがない。
財は能力あるところに集まり、不肖の手からは散逸する。
統治の妙とは
民衆の傾向のままに従うこと
利を餌に民衆を方向付けること
民衆を説教すること ・・・ってな手練手管の使い分け
愚策は・・・統制経済と国家独営の民業との張り合い
・・いいえて妙であるが、
これって、二千年前の著作物であって多くの人々に読みつがれてきたものですが、
本当にヒトザルは「歴史から学べない」
太史公司馬遷は、草葉の陰で泣いているだろうなあ
ちなみに、司馬遷は・・・
マネーゲーム(金銭貸付業)も否定してませんが、お金の使い方の巧拙には厳しい
褒められた方法でないお金の稼ぎ方にも同情的ですが、きれいなお金の使い方を賞賛します。
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