2015年5月7日木曜日
議員(被選挙権者)のための「国家試験」あるいは・・・
いまネチズンの間での多少高尚な話題が・・・「議員(候補者)にも最低限の国家試験を!」
賛否の全貌は不明ですが、賛同コメントが結構散見されます。
社会常識の著しい欠落
美人すぎるだけで上位当選
政治へのプロ意識の欠如
蓄財の手段としか考えない不逞の輩
・・・このような議員が横行すれば、かような暴論が「卓見」に見えてくるらしい。
論者はその根拠を、高度な技術を必要とする様々な国家資格の存在に求める。
確かに政治とは「最高のアート(芸術あるいは技術)」である。
あるいは、戦前の陪審員資格においては「読み書き能力」が必須条件であったし、
裁判員資格においても「義務教育終了あるいはそれ同等」という条件が課せられている。
議員の種別により多少異なるが、被選挙権者の具備要件は
国籍条項+年齢基準+失権要件の不存在の3点セット
特に失権要件は、一定の犯罪歴があることに該当する場合である。
この「3点セット」に抵触しなければ、筆談ホステスだって立派な区議会議員なのです。
戦前は、これ以外にも
性別による区分
禁治産者・準禁治産者
破産者・、貧困で扶助を受けているもの
住居のないもの
が失権要件であったようである。
まあそんなこんなで「資格試験導入」には一定の合理性がありそうであるが、
民主主義国家の選挙制度の基本フレームの有り様とその歴史の流れに鑑み
被選挙権者の具備条件を最小限にとどめ、その選択は有権者に委ねるというのが
基本論であり、失権要件を増やすことは歴史の流れに棹さすようなものである。
試験制度を導入すれば・・・
問題選定の適否
カンニングの横行
試験結果の客観性の具備
とかなんとか新たな問題を生じるだけである。
事の本質は「アホでも選んでしまう選挙制度の欠陥」にある。
選挙権者のリテラシーが低い
被選挙権者(候補者)の選択の幅が狭い
解決すべき課題はむしろこっちである。
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