2015年6月19日金曜日
いまのままじゃ、なくても別に困りはしないし・・・・・
文科省の「国立大学法人の組織・・・見直しに関する視点」なる文書が物議をよんでいるらしい。
例によって、つまみ食いのような字句をデフォルメした報道なので、まずは原文を読んでもみる。
そう目くじら立てる内容でもなく、そんなことより様々な問題提起(課題設定)に対して
立案されるであろう「解決策」が本当に実行できるのですかってことが心配になる。
論議をよんでいるのは多分この部分・・・
ミッションの再定義を踏まえた速やかな組織改革が必要
教員養成系学部、人文社会科学系学部は・・・組織の廃止や社会適用性の高い分野への転換
ストレートに言えば・・・
教育学部、文学部、法学部、経済学部、商学部は廃部するなり、
カリキュラムを実学化させなさいってことみたいです。
確かに「何とか学士」の名に値しない卒業生を大量におくりだしているし、
実社会では大学時代の学習効果を具体的に発揮することもない実情からすれば一理はある。
学歴エリートとしてリベラルアーツを叩き込み、国家の柱石となるという
教育システムは戦後の学制改革で放棄した
私学出身者の立場からすれば、多額の国費を投じた割に国益への貢献度が
著しく乏しいと言いたい気持ちもあるだろうねえ。
ところで報道ではふれていない「ミッションの再定義」となんだ?
言ってみれば「国立としての大学の存在意義」である。
国家機関として高等教育設備を保有するかどうかは国家意思なり国家の成り立ちに
起因するので、一概には言えない。
アメリカには国立大学がない・・・といえば多少誤差があり、
ウエストポイント、アナポリス等軍人や特殊な国家公務員を養成する大学はある。
州立大学は、シビルウォー後の大量の軍務従事者の再就職のための養成機関として
設置された・・・らしい。
富国強兵・殖産興業を背景に「学事奨励」を打ち出し、その頂点に帝国大学を設置する
学校制度そのものが「ミッションの再定義を必要とする」のだと思うわけで、
法人化したからって、状況が大きく変化したとは思えない。
全国的な高等教育の機会均等
世界最高水準の教育研究の実施
需要にかかわらず重要な学問研究分野の継承発展、計画的な人材育成
地域活性化への貢献
というような「従前のミッション」に照らせば、文系学部の存在意義は変わることはない。
しかし、存在意義があっても、その期待に答えているかと言えば話は別。
そもそも的に「実技」を学ぶ場所ではないはずが、専門(専修)学校と思しき
新設学部の氾濫が、あるべき大学像をおかしくしている。
あるべき存在としての「大学」に対する一番の侮蔑言葉が「底辺大学」
組織の廃止や社会適合性の高い分野への転換をまずやるべきは
そういうところではないですかねえ
生き残るために学部名称を変えるような小手先テクニックはもう辞めた方がいいし
できうれば、完全民営化でも不都合のない国公立はヤマとあります。
なまじっかその地域の国公立頂点校なもんで、出身者が地方のヤマザルのボスを目指して
群れをなし、税金を食い散らかすような不届きな事例もあるそうな・・・
ミッションなるものをどう読み返しても、高等教育をすべからく全国民的に享受させると言うことにならない。
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