2015年7月8日水曜日
大義は我に在り・・・って傲慢さ
1960年の在京大手全国紙連名の「共同宣言」は有名ですが・・・
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6月15日の・・事件は・・議会主義を危機に陥れる痛恨事であった。
・・民主主義は言論をもって争わるべきものである。・・暴力を是認するが如き
社会的風潮が一般化すれば、民主主義は死滅し、日本の国家的存立を危うくする重大事態になる・・
・・目下の混乱せる事態の一半の原因が国会機能の停止にもあることに思いを致し、
・・政府与党と野党が・・議会主義を守るという一点に一致し・・憂慮を除き去ることを
心から訴えるものである。
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いったい何が言いたかったのでしょうか?
耳障りはいいのですが、それ以上でも以下でもない。
そもそも「共同して」マスメデイアがモノ申すって正常じゃない。
しかし、結果として「安保闘争」なるものは潮を引くように衰退霧消し、
某週刊誌の見出しに曰く・・・デモは終わった!就活だ!!
こんな異常なことが、これだけとおもいきや・・・
あまり話題にならないのですが(したくない・・という「不都合な真実」なのでしょう)1932年にも
共同宣言が出されているのです。
それも、全国津々浦々の地方紙とか通信社までも、メデイア総動員。
筆頭に明記されるのが・・・日本電報通信社。
いまの「進撃(する広告)の巨人」のことです。
この社がプロモートしたのかねえ??
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満州の政治的安定は、極東の平和を維持する絶対の条件である・・満州国の独立とその健全なる発達とは、
同地域を安定せしむる唯一最善の途・・
日本が、国民を挙げて満州国を支援する・・まことに理の当然
・・満州国の厳然たる存立を危うするが如き解決策は・・
断じて受諾すべきものに非ざる・・・
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時代背景は、
1931年9月に満州事変勃発
1932年3月に満州国独立
1932年9月にリットン調査団報告(同年12月にこの「共同」宣言)
1933年3月に国際連盟脱退
改めて「調査団報告書」を拾い読みするに、そう目くじらたてるようなものでもない。
誰が見ても、あれは横車であるが、実際に出来てしまえばこっちのもの(南沙諸島の砂の長城と同じ)
しかし、リアリズムに徹した国際外交で鍛えられた英国貴族のレポート。
日中双方の主張を退けた上で、中国には名を、倭国には実を・・って現実解を提示します。
最終的な総会決議はより厳しくなりましたが、それは報告書開示以降の言動が加盟国の神経を
逆撫でしてしまった・・・言わば自業自得。
好戦的に侵略を擁護・鼓舞することがマスコミの総意なのか、
誰かが糸を引いたのか・・・よくわかりませんが、これが当時の「世論」なるものです。
思えば、個別局面の戦闘に勝つたびに、号外を出し、発行部数が増える。
戦争協賛=マスメデイアの成長って構図は、今も変わらず、戦争がなでしことかマー君に
置き換わっただけ。
この程度の存在で、義に貢献することもなく、それこそ「潰れてくれる方が・・・」
潰そうってつもりはありませんが、このままじゃ「自壊」しますよ。
世界遺産登録って煽り立てて・・・真の歴史認識とどっちが大事ですかねえ
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