2015年9月18日金曜日
正閠陰謀論
歴史の正当性は学問的に争うべきものであるが、歴史のその性格からして政治的に争う宿命にある。
血脈の正統性もまたしかり。
歴史は勝者の玩具であるから、勝てば正統性が担保されるし、その為には、まず異端であろうと正統を主張する。
当たり前のように議論している、あるいはそうなんだろうって思える皇位継承。
父から子へ、子から孫へ継承される事が当たり前ではなかったという歴史的事実を
まずもって想起する必要がある。
要は、繋がっているって思い込む事から「万世一系」が始まる。
持明院統と大覚寺統のいずれが正統かって、不毛の議論だと思うのですが、
正統性を命綱とする一派もあるわけで、学問的正当性なんかどうでもよくて、
要はライバルより優位に立つ事が大事なのですよ(笑)
南北朝正閠論・・・PC辞書では一発変換しないくらいの認知度ですが「あの歴史問題」以上に熱かったのが明治の末期の頃。
そもそも的には、反徳川イデオロギーが、南朝正統論に結集した。
北朝系で歴代継承されてきた以上今更って事ですが、太平記なるものが、判官贔屓も相まって大衆ベースの世論をつくり、エシュタブリッシュのサイドでも屈曲した意識の持ち主・・・つまり非主流不満派は、南朝史観を言挙げする。
ある意味で明治維新とは南北朝戦争の再来であり、建武の新新政なのです。
戦争には大義が必要であり、つまるところ「神輿」がいる。
神輿は軽くて担ぎやすい・・利用し勝手がよければいいのだ。
逆であれば・・・由々しき事ながら「原因不明の不慮の御逝去」ということが歴史上たびたび起こっている・・・らしい。
安重根が伊藤博文「暗殺」の理由の一つに、そのような悪事に手を染めた事をあげているらしいが・・・・
又、幸徳秋水は、簒奪王権である北朝の裁判権には正統性がないと喝破もした。
どっちもテロリストの妄言ですからねえ(笑)
なんにしても、明治の終期に、正閠論が登場する事には、なにやら陰謀めいた事があったに違いない。
大逆事件の被告発言なんかが世に出回るはずがないのですが、何故か新聞紙上で政府糾弾とあいあった。おりしも教科書問題にも発展し、国会の場で政府追求。
とうとう、南朝正統決義まで(笑)
国体明徴決議と並ぶ憲政史上無類の汚点。
哀れ、両統両立という普通の歴史的記述をした歴史家は失職の憂き目を見た。
太平記なる戦記物は、同情的ではあるが、南朝正統の書というわけでもない。
刊行中の岩波文庫版太平記は六巻もの。
前半三巻の早いうちに北条政権は瓦解し、あとは新田と足利の内輪もめ。
後醍醐も逝去し・・・・この本の読みどころはそんなところじゃなくて、後半部の延々と続く足利家内部の兄弟喧嘩とそれに加担する御家来衆の御家騒動。
内紛や裏切り、二枚舌は当たり前。
明国との正式外交は、南朝の九州政権が握る有様で、辺境の島国の蝸牛角上の争いに大国や半島国が介入していたとすれば、後世倭の国のかたちはそうとうにかわっただろう。
ちなみに、明治天皇の御真影への疑問とか、西郷隆盛の写真が存在しないことの理由は、そういうところに
あるらしい・・・ってことが「今日の陰謀論」です。
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