2015年10月4日日曜日
緩慢な死
懐かしい国鉄列車の旅だと・・・
博多駅に着けば、次が「福岡駅」だから降りる準備をしなくっちゃって、
思っているうちに、鳥栖だか久留米(笑)
紛らわしいことに、歴史的には「博多津」というはずだが、
黒田家が乗り込んできた際に、故郷の地名をもちこんだ。
言ってみれば、博多という町人の街と福岡というお武家の街が共存する。
話し変えて・・・西海道を西に車窓の風景は
三宮
元町
神戸
兵庫
と駅名が続く。
どれがメインターミナルだか、田舎者にはわかりづらい。
神功皇后の半島国政略成功の帰りに、お祀りをしたのが「生田神社」
その生田神社の末社が「三宮神社」
生田神社に奉仕する奴たちが「神戸」・・・神社に仕える戸(一家)という意味。
兵庫は、天智天皇の頃の「砲兵工廠」に由来。
元町って地名はちょっとした港町ならばどこにでもあるありふれた海岸縁の港街
元はといえば・・・兵庫県神戸市生田区(葺合区と合体し今は中央区)に所在しますから・・・
実のところ利用客数を降順で並べれば
三宮
神戸
元町
兵庫 の順番となる。
兵庫駅はそもそも的には貨物駅で、和田岬方面の工場労働者の乗換駅でいまや衰退。
元町のショッピングストリートも南京町に近接するあたりまでが賑わいで、あとはシャッター通り化。
神戸駅も、新開地が浅草六区のように栄えていた時代は華やかだったんでしょうが、
いまや、そこかしこも「崩壊商店街」
若者が足を踏み入れようって気にはまずならないし下流暇老人の街
行列が出来る箇所はオバちゃん相手の大衆演劇の舞台だけ
おかげさまで、二本立て千円程度の名画座が三軒も集積する映画街
そう言えば、淀川長治さんは、そのあたりにあったらしい「聚楽館」という
大ホール映画館で産気ついたって伝説。
福原なるかつては倭国の首都(清盛の時代の福原京)であった界隈は阪神間屈指の風俗街。
由緒の正しさは人後に落ちないが・・・
つまるところ、長所が短所に転化した際の「変化すべき能力」の有無で帰趨が決まる。
なまじっか、歴史があると変革に弱いってことです。
別に「震災のせい」じゃない。
さすがに最近は・・・「震災前と比べて・・」って物言いは少なくなったが、
緩慢な病状悪化が、劇症になったにすぎないのです。
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