2016年1月29日金曜日
思想体系(2)
岩波書店の「日本思想体系」全集(カタログですが・・)を眺めるに、どうも小物(失礼ながら)ばかりで・・・
世界思想史に君臨しそうな偉人は見当たりそうもない。
何をもって「偉人」というかと言われれば・・・
社会常識的には「時間軸を含めた地球規模への影響度」で測定をするのだろう。
あえて申せば・・・
空海
最澄(・・その延長線での日蓮)
聖徳太子は・・よくわかりません(実在性、すくなくとも行跡にも疑問だらけです)
儒学は、多岐多様な訓詁学者ばかりで、あんなものを読むくらいならば、四書五経の原典を読むほうがいい。
神道は・・・あれは思想ってものじゃなく(別に馬鹿にしていませんし、後述)
極東の島国は、地球の吹き溜まりのように、あらゆるものがやってきた。
異化同化しながら、文化の基層として澱のように積み重なってきたのだろうが、
結局のところ、倭国古来の「自然信仰」に収斂し、その自然信仰との親和性の高い「思想」が日本人のこころを支配した。
自然信仰とは、畏怖の心である。
君臨しようとか支配しようとかという不遜なことを考えてはいけない。
自然の禍福をそのまま受け入れる、それに同化するこころってことになる。
仏教者は、なぜ「山に籠る」のか?
歴史を名を成す名刹・・・精神性の高い宗教施設はすべからく山中にある。
酒肴と脂粉の匂いが届きそうとはいえ、比叡山延暦寺は洛外山中にある。
高野山金剛峰寺に至っては、いまでも気軽に足を運べるところではない。
一言では説明しにくい仏教思想ですが、山岳自然信仰との癒着あるいは混合により
倭国に根付いてしまった。
古来の自然信仰とは神道の原点であり、ここんところから本地垂迹が当り前のように受容されていく。
神宮寺なんて意味不明な存在もこれまた当り前
神は仏に、仏が神に比定されることも当り前
同時代に、長嶋・王のような感じで、二大宗教者が並立したことの僥倖を感じ入るべきだ。
どっちが偉いとかってことではなく、両存したことが、日本史にとって共鳴効果として素晴らしかったということだ。
一般的に言えば・・・
延暦寺は教養課程の総合大学であり、あまたの俊英たちが集まり、次の高みを求めて去ってゆく。
いつまでも大学に残り、位が上がるだけでは堕落の代名詞
信長に焼き滅ぼされなくとも、朽ち果てたに違いない。
まあ、大都会がまじかにありますから、受験生を集めやすいお手軽な教育施設である。
やっぱり、僻地の大学は運営がしんどいのですよ。
他方、僻地の偉大な大学が高野山。
永遠に生きながらえる創業者が存在するという触れ込みの凄さで修行者が集まる。
しかし、師を乗り越えてこそ、次の思想が生まれるが、あまりに偉大すぎて・・・
仏教の「儒学化」が起きたようなものだ。
それに教学においても、真言理趣経は難解で危険思想だから、
無知善良な民草が触れるべきものではない。
他方、法華経はわかりやすい。
正しい生活を行えば、人生の苦悩が消えて、現世も死後も利益を得て幸せになれる・・・
そのためには・・・
ひたすら念仏を唱えるもよし、座禅もよし、お布施、機関誌の配達、選挙運動・・・(笑)
ありていに言えば、法華経こそ、日本仏教のセンターである。
最澄の衣鉢をくむものが、日本仏教界を席巻した。
真言理趣経の流れをくむって言いだせば、真言立川流もどきな淫媚邪宗もいいとこだ。
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