2016年6月26日日曜日
素材なるグルメ
美味しんぼは何故か未酒乱を語らない。
未酒乱料理人とは、多くの場合海原雄山のように傲慢狷介。
あの下劣な性格の何処に至高の美を生み出すものがあるのかって?
しかし、いつしかの家族の和解で人並みの人格者に変身するが、
以降はドラマとして全く面白くない。
たしかに・・・
天地をも動かし、
鬼神をもあはれとおもわせ、
おことおんなのなかもやわらげ、
たけき武士のこころもなぐさむるは・・・・・
やまと歌でもいいのですが、やっぱり「お食事」ですよねえ。
食育なる言葉もあるし、最良の健康法でもある。
美味しいものを食べているうちは不幸だとは普通は思わないし、気分は最高に幸せ。
あたりはずれが少なくて、映画ビジネスという半分ばくちのような水商売でも素材としても格好である。
アトラクションのような大作と違い、ローコストオペレーションだし、
まずもってそこそこお客もはいる。
とはいうものの「一時の慰安と享楽」以外何も残らず、
それなりの感動なり快感をあたえるものの、
その場限りであり、再鑑賞に耐えるものはそう多くない。
記憶の大伽藍の中から・・・・あちこちの引き出しを開けては探してはいるのですが・・・・
バベットの晩餐会
コックと泥棒、その妻と愛人
・・・・くらいかなあ。
つまるところ、そのセンターにあるのはグルメ料理ってわけではない。
最近のお料理映画とは「グルメ映画」であり、ミシュランモチーフのワンパターン。
見た目鮮やかですが、よくできた見本料理。
どうしてソールフードを描かないのですかねえ・・・・・
自分の「最後の晩餐」に食べたいと思うようなお料理を素材にしての創造的創作こそが腕前ってもんでしょうって
思うのが極私傾向主義的プロ映画鑑賞家の立ち位置。
だから「深夜食堂や孤独のグルメ」が平版ではあるが味わい深い。
ラーメン映画もいくつかありますが・・・・
ラーメンって「暗い情念」を思わせる食べ物だと思うが、
そういう描き方は誰もしてくれないからつまらない。
蕎麦なんかも素材になっていいが、せいぜい「一杯のかけそば」・・・でもそばである必然性はない。
とかなんとか文句ばっかりかきつらねてもしょうがない(苦笑)
最後の一押しはこれ・・・!ヘルシンキのおにぎり屋
かもめ食堂
衒学的に言えば、おむすび屋さんというべきか?
オニギリとオムスビは似て非なるものですよ。
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