2017年1月10日火曜日
西に行くか東に向かうか?
清涼な仏の国を浄土という。
仏もさまざまだからえ、浄土もあちこちにある。
別に西方浄土だけが浄土ではないが、阿弥陀仏がおわすって事で人気があり代表的なだけである。
西行・・・・西に行くという事自体、出家の身としては理想的な命名かもしれない。
高杉晋作は、晩年東行と号したが、特段薬師様がおわす東方浄瑠璃世界に行きたかったわけでもなかろう。
単に西行法師の向こうを張ったシャレに違いない。
俗名 佐藤義清(蝸牛の陋屋あたり出身の武士)
眉目秀麗無双の院北面のガードマンであったが、それが災いし、高貴な女性と間違いを犯してしまった。
女性にとっては単なるアバンチュールであったが、舞い上がった義清にとっては
♫ たった一度の恋なのと泣いてた。君は人の妻(寺山修司 浜昼顔)
女性には鬱陶しくて面倒なもんで、阿漕ヶ浦(度重なれば現れもする・・という定番の和歌)って謎かけをし、
無骨な義清は、意味がわからないものだから
冷ややかに「そんなことも知らないのですか?大信田礼子みたい」と都倉俊一もかくやと嘲られ
恥じ入り二十歳前半で出家してしまったというのが、西行伝説の始まりである。
太田道灌の山吹の枝みたいな逸話にゲンジの朧月夜との逢引を合わせたようなものだが、真偽は定かではない。
ちなみに女性は、待賢門院らしいが・・・・
出家したんだから、修行に専念すればいいものを、歌を読み権門と交流し、名声保持に余念のない生臭さ。
歌風と言えば、平明でスッキリしたのが特徴
狂言綺語を駆使し技巧の凝らした歌群の中での清涼感が受けたようだ。
幕間狂言みたいなものです。
しかし、改めて歌集を読み返すに、なかなか決まってます。
透明度が高く寂寥感あるところが出家の身らしい。
そこで
ふむふむ・・・「半聖半俗」 っていいもんだねえって感想に立ち返るのですよ。
まあ、今時「全聖」なんて流行らないし、妻帯するのも当たり前。
寺院経営は何かと煩わしい。
坊主の真似事が一番か(笑)
津の国の 難波の春は 夢なれや 蘆の枯葉に 風わたるなり
きりぎりす 夜寒に秋の なるままに 弱るか声の 遠ざかりゆく
闇晴れて 心の空に 澄む月は 西の山辺や 近くなるらん
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