2017年2月18日土曜日
ある宗教戦争の視点・・・「天皇の世紀」各論
大仏次郎さんの大作も、そろそろ読破まじか。
維新史においてあまり語られることのない「明治宗教戦争」が第十一巻の大テーマ
廃仏毀釈
かくれ切支丹の登場
攘夷に端を発した王政復古論は、とんでもない熱病を蔓延させ、あまたの宗教遺産を灰燼に帰してしまった。
なくしたものは少なくないがいまさら悔やんでもしょうがない。
ボストンをはじめ海外に流失した遺物を惜しんでもしょうがないし、
流出したがゆえに大切に保存されていたと思えば嘉すべきかも知れません。
しかし、情けないのは宗教弾圧ともいうべき嵐に対して宗教者の矜持にかけて信仰心を全うしなかった僧侶ども。
唯々諾々と還俗し、あるいは神職に衣替えし恥じ入ることを知らない。
中には仏の教えに殉じた宗教者もいたかもしれないが、歴史の点描にもならない。
嵐が収まれば、またぞろ坊主稼業の再開となれば、そりゃ檀家の信頼を得ることはできっこない。
それが現在にまで至り・・・憲法上の「信教の自由」を隠れ蓑に宗教ビジネスを家業的に展開する存在でしかない。
稀には畏怖するしかない宗教者もおられますが、ことさら話題になるという事が実相を示す。
江戸末期には五十万堂といわれた寺院の数は、廃仏毀釈の結果もあり、現時点で七万くらい
それでもコンビニよりも多く、歯科医院の数くらいですが、何が世間の役に立っているかを見れば・・・
僧職にある人口も未だに30万とも40万人とも・・・
本当はもっと少なくなるはずなんですが、あるまじきことに「妻帯制度容認」の悪習のおかげかしぶとく生き残る。
いつまでも生き残れると考えているわけではなかろうが、
檀家の支持がだんだん希薄になる中、一体日本仏教をどう存続させていくのか真剣さが見えてこない。
戒律と教義があってこその仏教
それらを忘れ果てた仏教は、そもそも宗教ではない。
いまでも、心ある若い修行僧は、東南アジアの上座部仏教に流れていくというではないか。
他方で、二世紀にわたる禁制の中でもしぶとく信仰を守り通した切支丹信者。
明治政府には「信教の自由」なんて概念はなく、神道を国教にしようとしたくらいですから、相変わらず弾圧の踏襲
耶蘇教=邪宗って高札をだし、諸外国から抗議を受ける有様
岩倉使節団は、不平等条約改正交渉の前提条件と脅され、その後やむなく解禁した。
感動的な実話なんですが、実のところ彼らの信仰は本当のキリスト教だったのかどうかは浅学菲才ながら疑わしいと思います。
どうみても形を変えた「本地垂迹」宗教としか見えない。
大浦天主堂が出来た時に、恐る恐る司祭の元にやって来たわけであるが、忽ちに逮捕監禁、
転向を強要する強度な尋問のはてに、信仰を守り通した者もおれば、多くが転んだようです。
日本でキリスト教が定着しなかった理由は識者がさまざまに語るが、簡単に言えば「倭国は宗教のブラックホール」なのですよ
なにもかも「同化」させるある種の寛容の土壌があるということなのです。
べつの言い方もあり、それは文明のバロメーターみたいなもの・・・・・いささか誤解を恐れずに言えば
キリスト教が布教に成功した国々は「非文明的地域」である。
少なくとも非文明化した暁に(あるいは同時に)宣教師が乗り込んでくる。
高度に体系化された宗教とは、飛鳥人にとってそうであったように、まがまがしいばかりに煌びやかな仏教は、
羨望と疑心を生んだし、日本史上初めての宗教戦争も引き起こし、崇仏派が勝利し鎮護仏教国家に成ったのです
二番煎じはなかったということで、宣教師が来るのが千年遅かった(笑)
身もふたもない言い方をすれば、
宗教は、命と引き換えにするような大事なものだとは多くの倭人は思わないってことだし、倭の自然はなにもかも包み込んでしまう。
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