2017年6月15日木曜日
Web log あるいは Web essay
国語辞典的に言えば「日記と随筆」は明確に違う。
大字泉によれば・・・・
日記:毎日の出来事や感想などの記録。
随筆:自己の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章。
起こりえたことの事実とそのついでの感想という枠の縛りがあるのが「日記」であって、多くは時系列的な身辺雑記。
ところが、事実を基層にしつつも自己意識において再構成されると「随筆」になる。
一方で「ブログ」なるもの・・・・本来表現は「weblog」らしいので、随筆よりも日記に近い。
実際上は書き手の主観なり意図によりネットエッセイタイプも多い。
ここからは、ドナルドキーンさんの「百代の過客」の受け売りですが・・・・
西洋人の「日記」はいわゆる「日記的」だが、倭人は「随筆的」らしい。
命名者が西洋人だったもので、weblog であったわけで、これが倭人ならば webessay と名づけたに違いない。
つまり、実際に起きたことは適当で(意図的な捏造も多々ある)、思想感情を創造的に表現している・・・とのこと。
端的に言えば(このことは高校で習ったと記憶している)芭蕉の「奥の細道」と同行した弟子の道中日記の内容には、相当な差がある。
土砂降りの日に中尊寺を訪れて・・・
あらとふと 青葉若葉の 日の光 ・・・って、これはあまりにも写実ではない
土佐日記に至っては、オンナの振りして・・・って、完全に虚構の世界である。
紫式部日記の記述に史料的価値を見出して、源氏物語の作者の「証拠」っていうのも・・・・実のところは疑わしいと思うべきだ。
以上は、一般論であり、真名書きの日記(男性貴族の手になるもの)は、完全に日記。
・・・というよりも「有職故実の備忘録」
故事来歴の知識の量でしか自己実現ができない貴族にとってはまあそうなんでしょう。
明月記なる藤原定家の長年にわたる「日記」がある。
彼はいうまでもなく王朝和歌史上最大の職業歌人であると同時にうだつの上がらない二流貴族。
明月記とは、猟官運動に明け暮れる哀しい貴族の生態記録であり、彼の優れた和歌制作の秘密なんてまったくお呼びではない。
当然ながら「真名」で書いてますので、とても原典には歯が立たない。
堀田良衛さんの随筆でお手軽に読んでます(苦笑)
ところで、徒然なる「朱庵日乗」ですが・・・これは「webessay」です。
同じ日乗でも「断腸亭」のほうは・・・・日記なんでしょうねえ?
玉の井の女郎との「交歓記録」を隠語で克明に記録するって、これはフィクションじゃないでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿