2018年1月21日日曜日
ギリシア人の物語異聞(2)或いはソクラテス裁判
直ぐに了読出来るはずなのですが、興味は多岐に及び...
早くもソクラテス裁判のところで思考は飛んでしまった。
クラシックギリシアの体制の背骨は「直接民主主義」であると
教科書には不正確に書かれている。
正しくは、数万人と言われる市民は政治と軍事と司法に参加する権利と
結果を受け入れる責務を負う。
クラシックローマも似たようなものだと思いますが、
国の為に戦場で血を流す事が主権者の責務だとは戦後「民主主義教科書」では
書けませんよね(^^)
ローマ人の物語で司法制度についてどんな記述があったか記憶がないし、
ギリシア人の物語でも仔細に言及してはいない。
アリストテレスが断片的に記述していますが、
錯綜したメモ的なので、適当につまみぐいをするに...
毎年六千人が任期一年の裁判官(陪審員)に抽選で選ばれる。
事案に応じて陪審員の全部または一部が司法判断をおこなう。
陪審員には日当が払われる。
どうやら一審制?
起訴独占主義でなく誰でも告発可能だが、圧倒的な無罪となれば
濫訴処罰が課せられたみたい
色々考えるところがあるのですが、
成熟した民主主義を支えるのがこの三つのシステムだと言うならば
金科玉条である戦後民主主義とは如何にもひ弱である。
裁判員制度の拒絶感はその最たるものだし、
定着化させる努力も見えない。
貝殻投票にも登場する六千人と言うある種の定足数は実に面白い。
直接民主主義と言いつつも、一割程度の直接参加。
他方寡頭制であるスパルタは多分ですが市民(全人口の数パーセント)の
大半が参加したと思われます。
主権者の数が多いが直接参加が少ない制度とその逆の
どっちがより民意ですかねえ?
さて今日のお題は記録に残る最古の冤罪裁判の経過です。
嬉しいことに、プラトンが陳述や弁論を記録してくれてますから、
塩野女史の読み筋はさておいて、
我々は傍聴席にいるかの如くリーガルドラマを堪能できます。
プラトンの「ソクラテスの弁明」を久方ぶりに再読。
以前は面白くなかったが、リーガルミステリーだと考えれば
実に面白い。
しかしながら冤罪裁判とは土壇場で正義が勝つように出来ていますが、
堕落した民主主義では、木の葉が沈み大石が浮く。
告発されたらお終い
クラシックギリシアにも弁護士はいたようですが、
ソクラテスは本人訴訟でした。
ボストンリーガルに登場するアランシォアみたいに雄弁で
レトリック満載で...なかんずく挑発的
これがいのちとり。
衆愚な陪審員にはテレビドラマと違い正義は通用しない。
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