昔懐かしの体育会的風景にみえますが、
右の頬を打たれたら、左の頬を差し出すのも良く似て見えます。
この有名な言葉をもって、愛と許しの宗教だとの評価を得ましたが、
その後の歴史事実をしっていれば、無条件にそうだとは思わない。
つまり、当たり前のように思われている解釈になにか間違いがあり
誤解を招いてしまったと考えられる。
ところで、右の頬はどのように打たれたんでしょうか?
右利きだとしてですが、
右手の甲で叩く
左手の平で叩く
古今東西、左手は不浄とされ、あまり使われない事とされる。
実際に往復ビンタの場合も、
左手で胸倉を掴み、
右手の甲で右頰
右手の掌(平)で左頬...以下インターバル
が経験則的には当たり前。
しかし、器用にも両手使いの往復ビンタも無いではない。
次に、右手一本だと仮定して掌と甲の使い分け
拍手(はくしゅあるいはかしわで)は、掌を打つものと決まっていますが
オカルトチックには、裏拍手(手の甲で打つ)があり、
誠に不吉な所業であり、やってはならないとされます。
甲と甲を打ちあわせるものではないので、許容範囲ではあるのですが、
西洋的には、侮蔑的意味合いを込める時には手の甲で相手を引っ叩く....らしい。
初見の事であり、論評できませんが、
次に左頬を叩こうとすれば、右手の掌を使う事になりますから、
叩く方は侮蔑的な態度を改めるということになり、
一転叩かれる方の立場が強くなる狡猾な外交的な戦術だと理解されます。
無抵抗主義の本質とはこういうのでしょうか
まあなんとも(^^)
ちなみに、演奏会場で中学生を往復ビンタを食らわした
日野皓正氏ですが、映像をよく見れば...
右頰左頬とも右手の掌で叩いています。
なるほどねえ、世界的とはこういう事なんですなあ。
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