2018年10月7日日曜日
会議のシーンの数をかぞえたんですが
池井戸潤氏の映像化作品は好きではない。
理由はさしたるものでは無いが、結果として原作に触れなかったのは
いささか申し訳ないかも....
今回はたまたまだが、手に取った文庫本が品質偽造のはなし。
作者が彼だって...途中で気がついた
なかんずく映画化進行中で、来年ロードショーらしい。
完結型短編の連作長編という最近はやりの構造である。
かなりな大手企業の製造販売子会社が舞台。
有り気な話だが、客先仕様を誤魔化し、グレードダウンによるコスト削減という
禁じ手を繰り返した経過なり解明と断末魔をこれでもかこれでもかと....
サンプル品はまじめに作り、量産となれば粗悪素材にすり替える。
そのうちに型式変更になれば、量産打ち切り
その間を隠し通せばいい。
大抵は相手先の現場との阿吽の呼吸なんですが、
これは悪質にも下請製造会社との共謀
この類いの話しは耳タコだし、口にもしたくないが、
ここで唐突に、カールヤスパースのじゃんけんぽんを思い出す。
ある種のみすくみの警句
知的でナチスであれば誠実ではない
誠実でナチスであれば知的ではない
誠実で知的であればナチスではない
本当にヤスパースが言ったのかは確信がない。
しかし、この物語に登場する人物は須らくナチス的である。
ナチス的とはある種の比喩です。
別に責めてはいないし、
そうでもしないと会社社会では生きていけないこと位は知っている。
誠実で知的な人物ってそうそういないのですよ。
多少正確に言うと、生きる為(偉くなるとか給料が多くなる)にナチス的である事を捨てた人間だけが
そうなりうるかも知れないってはなし
しかし、何事も程度問題、清濁併せ呑むのが世間知というもの...
ってわけ知り顔に言うべきではない。
社会から不正がなくなるわけがない。
だからといって諦観してはいけないし、
賽の河原の石積みと思いながら...
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