2018年12月10日月曜日
Fury
社会通念的には・・・
ガルパン
バルジ
あるいは砂漠のキツネなんかを思い起こし、
でも、狂言綺語的には・・・
歌姫の名曲「きつね狩り」
プリンセスダイアナ
レッドバロン・フォン・リヒトフォーヘン
殺すものと殺されるものの関係は距離感で変わる。
エゲレス人が動物愛護民族とは、ビクトリア王朝頃の彼らを見れば
とても信じられない。
当時の彼らの最高の娯楽は「動物同士の格闘技」
とりわけ、手負いグマと犬の格闘が大人気だったらしい。
狩猟民族ゆえにわからんでもないが、適度の距離感があるから
狩猟も楽しい。
自らの手で、キツネの喉首をかききるとか、脊椎をへしおるのであれば
相手がネズミでも躊躇する。
多分ですが、英国貴族層の中では、キツネ狩りを忌み嫌ったダイアナの感性が少し常識と違ったのでしょう。
戦争は結果として人殺し
ボタンを押せば、ミサイルが飛んで、あるいは爆弾が落ちて女子供まで死ぬ。
しかし、歩兵の遭遇戦のつかみ合いに比べれば、罪悪的感情に乏しい。
キツネ狩りと同じ理屈。
第三者的な戦闘の美学とは、この距離感による。
映画とはいえ、歩兵同士のつかみ合い的殺し合いはごめん被る。
殺伐として、良家の子弟には似合わない。
コンピューターゲーム的も臨場感がない。
やはり、空中の騎馬戦のような複葉機の戦闘に美学がある。
敢えて、機体を真っ赤に塗り・・・緋威しの甲冑の若武者のいでたちに
感情は高ぶる。
地上戦は、なんちゃって戦車(騎馬)戦
だから、学校の体育祭の華なのですよ(笑)
映画「FURY」・・・・
見所はさまざまなれど、シャーマン戦車とティーガー戦車との激闘
火力・防御力に勝るティーガー戦車にどう戦うか・・・・
あとはどうでもいい。
蝶のように舞い、蜂のように刺す。
あのシーンだけでこの映画はマニア的は歴史に残る。
因みに、アタシが率いる騎馬軍団は、体育祭で負けたことがなかった。
相手の騎手の帽子を取れば勝ちですが、そんな常識的な戦いでは
勝利の確率はひくい。
騎馬戦とは騎手の戦いではなく馬の戦い。
三頭の馬は、兎も角も相手の馬を蹴りとぶつかりで潰す。
騎手が落馬すれば勝ちなのだ。
卑怯と言われてもめげてはいけない。
これは戦法の極意。
壇ノ浦の義経の勝利は、弓で平家の武士でなく水夫を射殺したことによる。
兵は奇計にあり。
然し乍ら、頭の悪い学校当局が容認するところとならず
出場停止処分
そんな発想だから、かの大戦にも負けたのよ。
その通り真実を語るアタシには大学受験の推薦は一切出なかった。
映画で、始めて戦闘に遭遇した若者は、
死闘の中、英雄的に生き残る。
その一日で得たもの・・・喪ったもの。
渇いた情感の中、エンドマークです。
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