仮面の文化論的意義については山と文献や考証がある。
基本的には
なにかになりきる
なにかから身を守る
ジェイソンはアイスホッケーの防具をまとい(13日の金曜日)
マイケルはハロウィンのマスクを身につける(ハロウィン)
映画スクリームの犯人もマスクをかぶる
チェーンソーで殺しまくる彼もレザーフェイスの愛用者(悪魔のはらわた)
フレディも...あれは自顔みたいな仮面?(エルム街の悪夢)
レクターハンニバル博士も収監中にもかかわらず
ホッケーの防具を被らされていたのが、なんとも暗喩的(羊たちの沈黙)
仮面をまとうことでなにかが憑依し、超人的な振る舞いをする。
超人的にはなれなくとも自我を隠蔽できる。
淫靡な仮面舞踏会とはそういうものだ。
韓国にタルチュムなる仮面舞踏劇があるそうな。
歴史的には能楽の先駆をなすようなものだが、
特段能楽韓国起源説には与しない。
更に中国の演劇に由来する以上無意味な論議。
それになにか本質的な部分で差異があり、全く別物と考えられる。
面(仮面)をまとうことが能を演じる場合の必須ではない。
直面(ひためん)なる面がある。
安宅
正尊
面としては分類されないが、れっきとした面
素顔をそのまま面に見立てる。
演じる際には能面のごとく静謐な無表情のなかに
喜怒哀楽を演じるという難度の高さ。
仮面をつけて何かになりきる程度はまだまだ修行が足りない。
だっから仮面ホラーもどことなくユーモアを感じる
スプラスティックスプラッターなのですよ。
ハロウィンのリブート版
実はこの作品は初めて見たが、もういい。
すべからくそうなのよ。
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